四月十日

いや、久しぶりですね。

ニューカレドニア(南太平洋のフランス領で、四国ぐらいの広さの島です)から無事帰国しました。

というわけで、今回のネタは、旅行中の出来事、アレコレ!

 

といっても、私のHPでは、普通の旅行ネタは書きません。

それなら、他のHPでも見ることが出来るでしょう。

第一、最近は、各リゾートとも、自分のところの宣伝に余念がない。

どこでも、公式のHPを開いています。

また、旅行好きな人は、必ずと言っていいほど、自分達の旅行の感想記を書いたHPを(写真付きで)開いているものです。

(半分は、自慢話)

だから、私は、そのような記事は書きません。

では、私なら、どのような記事を書くのか?

以下のような記事を書きます。

 

まず、行きの飛行機の中。

成田からAFに乗って、ニューカレドニアのヌメアへ。

(ちなみに、“AF”とは、風俗業界が使用して定番化した“アナルファック”じゃないですよ。

“エアフランス”ね。

もっとも、我々の専門分野では、“基礎の公理(Axiom of Foundation)”の略が定番なんですけど・・・。)

で、ヌメアへ着く間際、機中で、なにやら噴霧されましたぞ。

(水ではないことだけは確かです。

臭いがしたもの。)

これは、私だけではなく、機中の乗客全員がやられたはずです。

(残念ながら、ビジネスクラスはカーテンで見えず。

言い訳じみるけど、今回はパック旅行で、エコノミーに乗ってました。

学会出張ならビジネスを使うのに・・・。)

なにせ、機内アナウンスをしてから、スチュワーデス(アテンダントか)が噴霧して周っていたもの。

今まで、かなりの回数、海外旅行をしましたが、こんな経験は初めてでした。

あれ、人体には無害なのかネー。

(一応、そう言ってはいましたけど・・・。

アヤシイ!)

私は、6日に帰って来たのですけど、昨日(一週間後にあたります)あたりから、体の具合が悪いもの。

(おそらくは、温度差による、春風邪でしょうけど。)

 

機内説明によると、

「ニューカレドニアは(地球上では僻地の田舎で隔離されて来たから)、病原菌に対し、抵抗力がない。

従って、島に入国する人は、消毒をする」

ってなことになってましたが、本当か、オイ。

噴霧程度で菌が死ぬかよ、おまん。

まっことの話が!

(これ、土佐弁ネ。)

もし、あれで菌が死ぬとしたら、超強力な消毒液を使ってることになる。

(オームのサリンとか、神経ガスとか)

ということは、人体に影響がないわけがない。

マジな話、“冗談はフランスの中だけにしておいてくれ”と言いたいよ、まったく。

多分、単なる気休めに過ぎないのでしょうけど。

それにしても、人騒がせな。

というよりも、人、不愉快な。

 

で、何が奇妙かというと、誰も文句を言わないのね、ゴキブリ扱いされて。

皆、“こんなもんか”という雰囲気。

(多分、機中泊で眠い所為もある。)

 

ひょっとするとですよ、あのような噴霧は、成田発の便だけに行われているのかもしれないでしょうが。

それも集中的に日本人を標的に。

(これを“僻み”と思う人は、国際経験が不足してます。)

他の便、例えば、アメリカ発の便では、消毒液の噴霧は無かったりして・・・。

この点は、確認をしたわけではありません。

(ついでに言うと、アメリカからの観光客は、あまりいないみたい。

フランス領では、遊びたくないか、アメリカ人は。

隣の、フィジーには良く来るらしいけど。

あそこはフランス領じゃないものね。

それに引きかえ、相も変わらず、日本人観光客の多いこと。

ヌメアの空港に着いた乗客の、ほぼ半数は日本人っぽかった。

4月2日ですよ。

世界中の至る所に中国人は住んでいるのですが、日本人は至る所で観光している。)

 

ニューカレについて、現地の日本人ガイドに聞くと、“皆やってるんじゃないですか”という生返事。

しかし、それにしても、旅行者を馬鹿にする行為としか思えないのですけど、私には。

アノネー、フランスの皆さん、あんな気休めよりも、近所でやった原水爆実験の方が、はるかに消毒の役に立ったでしょうに、人にも動植物にも。

(これエスプリ。)

今更、綺麗事を言っても、仕様が無いんじゃありません?

 

で、結論を述べれば、少なくともですね、何か判らない液を噴霧されたくない人は、ニューカレドニアには旅行しないように。

これが、今回の旅行の第一の収穫(というより、耳より情報)でした。

(もう、二度と行かないよ、私は。)

第一ということは、まだ第二、第三があるのか?

あります!

と言うわけで、以下は次回に。

 

 

 

 

 

四月十一日

昨日に引き続き、ニューカレドニア旅行記、その2。

(その1は加筆訂正のうえ、4月の月報に移しました。

少し、皮肉が効いたよ!)

 

空港からホテルまでは、何事も無し。

ホテルはフランス定番の5つ星(とガイドブックに書いてある)メリディアン。

さすがに現地は暑いので、ロビーの隅にこっそり隠れて(誰にも見えないはず)、さっそく夏服に着替えをしました。

上着だけ。

(朝早いので、チェックインは出来ません。)

ト、何やら変な雑音が聞こえ始めます・・・。

オイオイ、この5つ星ホテルは、ビジネスホテル並みの環境かよ。

ホテルのロビーといえば、そのホテルの顔よ。

一番、感じが良い場所の筈。

それが、このような変な雑音を出すとは。

(もっとも、それほど大きな雑音ではなく、どちらかというと、そのあたりだけに聞こえる不愉快な雑音。)

所変われど、猿のやることは、大差ない。

ニューカレ独自の“オリジナリティー”など、微塵も感じられません。

日本猿とまったく同じノリ。

雑音の感じまで一緒。

せめて、音楽の差程度の相違は出してほしかった。

反射神経だけで生きている下等動物は、何処の国にもいるようで・・・。

ま、これで、当方も戦闘準備完了というわけで、いざ、午前中の市内観光へ出発。

現地のプチトレインというのに、皆で仲良く乗ってお出かけです。

 

で、最初の見所に到着。

(一々、場所の説明はしません。

この記事を書く当方の意図は別にあるのです。

第一、紹介するほどの見どころは無し。)

そこで写真撮影をしていると、何やら現地の人が私の姿を勝手に撮影する。

(白人でオカマっぽかった。

せっかくだから、私も自分の写真機で撮ってもらったよ。

使わにゃ損よ、ああいう連中は。

良く撮れたかな?)

ホテルのスタッフか、それとも全く関係ない人か?

少なくとも、旅行のスタッフでないことだけは確か。

何かのサービスにも思えない。

勿論、写真を買ってくれというのでもない。

そもそも、写真機がインスタントカメラじゃないもの。

(フランス本国では、よく見かけましたよ、このテの商売を。

勝手に写真を撮って、金クレって野郎。

ジプシーか何かでしょうけど。)

こういうことがよくあるのです、私が旅行をしていると。

 

例えば、アマゾンの奥地に旅行した際、観光船上で、勝手に私の方にビデオを向けて撮影する連中がいた。

少なくとも、同行の観光者ではありません。

感じで判るでしょうが。

(ビデオよビデオ。

写真じゃないの。

本当に、図々しい。

肖像権の侵害だっちゅうの!)

勿論、私一人だけじゃありません、その時、撮影されたのは。

何でも、ホテルの観光ビデオとして、後で見せていたらしいけど。

(これ未確認)

しかし、いつもいつも観光客を撮影しているはずも無い。

(そんなことは不可能でしょう。

1日、何便も出ているもの、観光船は。)

一体、どういうタイミングで撮影するのかねー、ああいう連中は。

 

で、話をニューカレに戻すと。

今頃、どうなっているんだろうか、あの写真は。

ひょっとすると、雑音のお詫びのしるしかなという意識もチラット頭を掠めたけど、そこで怯む私じゃありません。

雑音の御礼はタップリとしておきました、以下のように。

 

プチトレインに乗って観光する客は、現地の住人から見れば、一目で観光客と判ります。

で、現地のガイド(日本人スタッフ)が言うには、現地人(白人じゃなくって、土人)に手を振ってやると、連中は喜ぶそうな。

お互いに手を振りあって、親しみを表現する習慣があるということ。

(現地の白人と土人は手を振り合っているようには見えませんけど・・・。

日本人スタッフは大変ネー、現地に溶け込むのに。

両方に気を使って。)

それを聞いて、さっそく乗客(全員、日本人)は笑顔で手を振り始める。

それに対し、確かに、現地人も笑顔で手を振り返す。

一見すると、和気藹々とした雰囲気。

しかし、何かピエロめいた感じがしないでもない。

なにせ、目立つもの、プチトレインは。

警笛の音も大きいし。

 

そこで、私は、実験を開始しました。

手を振る代わりに、指先(人差し指)を3cmぐらい相手側に弾いてみる。

すると、結構、怒り始めましたよ、現地人が。

他の日本人は全員、手を振って愛嬌を振りまいているにもかかわらず、私一人だけが、指で弾き返すような真似をすると、それだけが目につくようで。

(それとも、私のやることだから、何らかの理由で、特別に気になるのか?)

とにかく、それまで静かだった町が、急に騒々しくなり始めました。

具体的には、あの田舎町で、車の騒音が耳につき始めました。

そして、現地人の顔が、急に、険しく、無愛想になる。

敵でも見ているような眼つき。

同乗していた日本人は、いささか、困惑顔。

“何故だ”ってな雰囲気。

何故も糞も、私が、実験しているんじゃないの。

さらに、偶然、ガイドの説明のマイクに雑音が入り始める。

(どうやるのかな?)

 

その後、現地に滞在中、土人のヤー公が纏わりついていましたよ、私の周りに。

(どこにもいるもんですね、チンピラは。)

ちゃんと調べるんですねえ、私がどこのホテルに泊まっていて、どこを観光するのか。

それとも、一日中、交代で、張り付くのかなあ?

いずれにせよ、結構、面白かったですよ。

手は出しませんもの。

まさか、

「お前、指を弾いたな」

なんて難癖を付けるわけにもいかないでしょうが。

第一、私には妙な自信があってですね、以前、アメリカで、シカゴやワシントンの黒人街を一人で歩いた経験があります。

(ワシントンは夜。)

ダイハード3とは違って、平気でしたよ。

私の場合、常に、誰かに見張られているような感じがするのです。

(多分、感じではなく、事実なんでしょうけど。)

その所為で、チンピラは手を出せない。

(但し、周りのことが目に入らないほどイカレタ野郎なら、私に手を出す可能性はあります。

例えば、本物のキチガイとか。)

 

話を元に戻しましょう。

この実験で私が何を言いたいのかというとですね。

「土人は、舐められると、観光客相手でも怒る。

例え、それが、集団の中のたった一人の行為でも、なりふりかまわず、全員に対して、ストレス攻撃を仕掛ける」

というのが第一点。

ま、自然な結論とも言えるでしょう。

しかし、あれでよく、観光商売ができること。

ホテルのメイドなんか、からかうと、ベッドに八つ当たりしてました。

(壊れるぜ、ベッドが。)

あのような土人の反応を目の当たりにして見ると、普段、私が、日本の国内で実行しているストレス攻撃が、如何に効き目があるか判ります。

日本人は、ヘラヘラ笑って、誤魔化しているけど。

(ザマ−見ろ。)

 

第二点目は、

「南洋の土人でも、人間性が長閑な訳じゃない。

結構、ストレスを感じてるぞ」

という点。

となるとですね、貧乏な分だけ、余計に惨めでしょうな、観光客を見ると。

(だから、手を振って、誤魔化すのか。)

日本のテレビでは、ゾマホンがデカイ面をして吼えてますが、土人の正体は、こんなもんです、正直な話。

(全員がストレスかけに参加しているとは言ってませんよ。

誤解のないように。

“ストレスは日本と同程度じゃないですか”といってるのです。)

 

最後に、次の一点は、なぜか、万国共通に理解できないらしいのですが・・・。

(最近は、大分、浸透し始めたか。)

 

「少なくとも、この私は、(戦後、女性陣に”精神的去勢”された平均的な日本人とは違って)舐められたら、土人よりも怒る。

相手が集団なら、国ごと舐め返す。」

 

その結果が、この旅行中の出来事となって表出したわけです。

(日本国内では、毎日、やってます。)

まだまだ、続きますよ、今回の旅行記は。

(評判が良いと、今までの旅行記も書こうかな。)

 

ただ、あまり露骨に表現しすぎると、女性陣から、ブーイングがくる。

多分、私の記事を見て、ストレス解消をしたいのでしょう。

それが出来ないと、期待を裏切られたように感じるのです、キット。

ケドモネー、私は、君らに媚を売る気はないよ。

タレントじゃないんだから。

君らは美川でも触りに行けばー。

(オー、キモチ悪。)

 

 

 

 

 

四月十四日

体調が、ほぼ回復しました。

(カラオケの美声も戻りつつあるし。)

ただ、来週は、学会発表の準備なんかで結構、忙しくなります。

なるべく暇を見つけて、このページの記事を書くつもりではありますが・・・。

ただ、以前にも言ったように、読者サービスばかりをしているわけにもいきません。

私の文章が気にいった人は、他のページも見てください。

例えば、近日中に、過去の学会発表から適当な内容を選んで、このHP上で公開します。

(なるべく素人にも理解でき、且つ、興味を持てる内容)

文豪とはいっても、そこらの小説家とは、一味も二味も違うというところ、つまり、(科学者、理論家としての)“格”の違いを見せつけてあげますよ。

乞う、御期待。

しかし、今、現在のところ、このHPで、構築が終わった部分は、このページと月報の赤のページ、及び、3月の月報のページだけです。

(構築は3月中旬から始めました。)

各ページとも、デザインの基本思想として、“様々な日本情緒”を採用しています。

以後も、各ページ毎に、テーマを決めて、このような豪華版を作製します。

外枠の最終決定版が完成するには、1年ぐらいかかるかもしれません。

(記事の方は、半永久的に追加します。

まあ、気長に、楽しんでください。)

最後に、“その他”のページで、このHP全体を作製する過程で採用した、各種の素材ページを掲載します。

(多分、200を越えるけど。)

で、学会発表の内容なんかは、研究のページ構築の途中で掲載することになります。

性格上、中途半端は嫌なんですが、私としても、いつまでも完成を待っているわけにもいきません。

皆さんは、私の記事(情報)と、このHPのデザイン(画像)のどちらに、より興味がありますか?

その点を確認する意味でも、デザインの途中で、各種、情報を掲載します。

 

というわけで、前回の続きである、ニューカレ旅行記、その3。

(写真が出来上がったので、そのうち掲載しますよ。)

 

市内観光を終えて、ホテルに戻ったところから。

昼を過ぎていたので、ホテルのフレンチレストランで昼食。

閑散として、私の他に客は一組だけ。

料理不味。

滞在中、二度と行かず。

その後、チェックインできたので、(飛行機中では寝れなかったため)昼寝を決め込む予定でした。

ところが・・・、

部屋に入って、ベッドに横になると、上の階から、なにやら床をコンコン叩く音がする。

(ハハーン!)

おまけに、割り当ての部屋(一人部屋です。彼女なし。いつも現地調達。)は、場所が悪く(それとも、場所の所為ではないのかな?)変な機械音がする。

ブーンブーンてやつ。

(多分、エレベータの音。)

何、この5つ星は!

で、どうしたか・・・。

文字通り、泣き寝入りをしたか。

それとも、部屋をチェンジしたか。

ブー!

 

こういう場合、私の対処(というよりも、“攻撃”)の仕方は、いつものパターン通り。

なにせ、年季が違う。

部屋の水道の水を出しっ放しにします。

(これは、世界中、どこのホテルでも“使える”手段です。)

私自身には、“滝の音”を聞いているように思えるんですけど。

(そう思うような習慣が付いてます。

なにせ、滝の音は好きなもので、わざわざ、CDを買って聞いてますもの、自宅で。)

しかるに、こうすると、周りに、結構、響くんだよね、ホテルの場合。

水の音じゃなくって、水道管の雑音が。

この音は、私のことを気にしている連中には、それこそ、反撃以外の何ものでもない。

で、場合によっては、お決まりの“電話”が部屋にかかってきたりします。

ここでも、そうでした。

そのものズバリ、電話あり。

しかしねー、私は寝てるの、ベッドの中で。

電話の音は聞こえません。

無視してると、今度は、部屋へルームメイクのおばさん(の場合が多い)がやってきて、ドアをノックする。

それでも無視。

眠いもの。

これで止めるようなヤワナ神経では、世界相手の戦争(比喩よ)はできません。

かくして、水道の閉め忘れは、そのまま、継続されたのでした・・・。

(時に、感じては、お湯にも手が出たりして・・・。

すると、水蒸気の煙まで登場する。

当然、バスルームのドアは開けっ放し。

ほんと、ホテルは良いわ、兵器が揃っていて。)

 

実は、滞在中、ズット、この調子で、水を出しっ放しにして、寝てました。

イヤー、旅行中は度忘れがひどくって・・・。

(天才、舐めるんじゃないぞ、コラー。

たまに、目が覚めると、自然に水が止まっている場合もあります。

これは、超常現象(念力)ではなくって、ホテル側の誰かが、部屋に入ってきて、止めるのでしょう、キット。

それを阻止するには、勿論、ドアチェ−ンです。)

 

さらに、今回は、念には念を入れて、テレビもつけました。

スポーツ番組。

当然、フランス語の放送です。

当方としては、フランス語は勉強してないから、番組の声は、丁度良い、子守唄。

勿論、画面なんかは見ません。

ベッドの中で、気持ち良く、聴く。

(隣は、五月蝿かろうて。

壁が悪いのよ、薄い壁が。)

それでも、隣の部屋には、人が居るの。

よく我慢するわ、本当。

見張りも大変よ。

隣は日本人ではなくって、白人。

これはチェック済み。

(私の部屋はキングサイズのワンベッドルーム。

大抵の日本人は、ツインだから、別の場所でしょ。

そもそも、階が違うかも。

但し、日本人がいて遠慮するタイプじゃありません、私は。

余計にやるタイプです。

そもそも、ホテルでは、水周りの雑音は、同じ階よりも、上下の階の方が響く。)

連中のかけるストレスは、単なる雑音ではなく、それ+アルファという説もあります。

しかし、そんなことは、こちらの出す、ある程度以上の雑音の前には吹っ飛びます。

 

で、面倒くさいから、そのまま、朝まで寝っ放し。

(途中、一回だけ起きて、様子見を兼ねて、ツアーデスクへ行く。

翌日のオプショナルツアーの打ち合わせ。

夕食なし。)

本格的に寝入る前の段階で、ウトウトしていると、大変興味深い現象に気付きました。

テレビのフランス語が、どこか韓国語(朝鮮語とも言いますわな)の響きと共通点があるように聴こえるのです。

普通、フランス語と言えば“上品”とされます。

それに対し、キムチを食べる民族の言葉は、自然とキムチの発音。

(意味が判ります?)

しかし、スポーツ番組で、フランス語を、早口で、興奮して喋っていると、韓国語の普通会話と重なる部分があるように聴こえるのです。

これは、私が、フランス語、韓国語とも、言葉としてではなく、純粋に音のみで、聞き分けているからでしょう、きっと。

フランス語の普通会話は、鼻にかかった発音(蓄膿みたい)で、通常の韓国語とは似ても似つかないことは、百も承知です。

今から20年,30年前なら、フランス文化やフランス語に憧れる日本人は大勢いましたが、今頃、フランスに憧れる日本人はいないでしょう。

このような現状、世界観も影響したのかもしれません、私の耳に。

何よりも、あのホテル環境下での“敵性言語”は醜く聴こえますわな。

このことを発見(とは言えないか、“感性”の問題だから)したので、以後、テレビは消しました。

 

朝、起きて、ビュッフェの朝食。

で、この日は、日帰りで、“天国に一番近い島”(ウベア島)へ観光に行く。

(同じ名前の風俗店が、池袋にありますね。)

小型飛行機で、約、40分。

映画ロケで(日本人だけには)有名らしいけど、何もない島。

だから良いという人も。

しかし、本当に、何もなし。

あるのは、砂浜だけ。

バスもタクシーもなし。

商店すらなし。

ホテルもなし。

(但し、現在、日本資本のホテルを建設中。

投資が回収できるかな、あの程度の商品で?)

 

砂浜は、思ったほど綺麗じゃないよ。

(写真見て。)

海の海水も、マアマア。

ニューカレ本島と比較すれば、マシという程度。

(本島は本当にひどいもの、砂浜も海水も。

おまけに、観光客用のシャトルバス一つ無いし。

本島ですら、現地人と同じバスを使うか、タクシー。

物価は、つまり、タクシー代は、信じられないことに、日本並み。

これ、ボラれたんじゃなく、本当に、高いの、物価が。)

で、そこそこ泳いで、夕方、お茶して、本当へ帰島。

昼に食べた、変な蟹(形は、”エリマキ蟹”)だけ、収穫は。

(この蟹は南太平洋だけかな?

初めてだったけど。)

オバハン連中の水着姿見ても、仕方ないし。

若い、そこそこのノッポが一人いたけど、腰蓑着けてて、目の保養にはならず。

(パレオか、それとも、水着付属のフレアスカートか?)

 

私の場合、世界中どこへいっても、偶然でしょうけど、“そこそこ”の日本女がいるの、周りに。

あくまでも、“そこそこ”よ。

(現地の娘が寄って来るのは判るけど。

まさか、日本からの“追っかけ”じゃあるまいし・・・。)

ついでに言うと、日本のどっかから、同じ飛行機で、テレビ局が撮影に来てたけど、連中はどっかで仕事。

食事時だけ、合流する。

つまり、そこしか食事場所(レストランとは呼びたくない)がないのよ、天国に近くなると・・・。

 

で、その夜も、水を出しっ放しにして寝る。

 

翌日は、昼過ぎに、JAL(とAF共同)キャンペーン推薦のレストランへ、タクシーで。

(だから、タクシーの値段を知ってるのです。)

1時半に着いたけど、店内、閑散として客なし。

もう閉店とのこと。

クーポン券を使い損ねた。

(オイオイ、2時までと書いてあるぜ。

朝飯が遅かったから、わざと時間をずらして来たのにイ!

ちなみに、店名は、タヒチへ逃げてきた、あのフランスの有名な画家と同じ名。)

気分悪いから、予定の水族館へは行かずに、散歩がてら、歩いてホテルへ帰る。

途中、海岸通りを、砂浜に沿って歩いたけど、チラホラとトップレスが見える。

但し、ほとんどがオバサン。

(タラチネを人に見せるなっちゅうの。

自分が恥ずかしくないのかねー、あの垂れ様で。

余計に不愉快になる。)

気分治しに、ホテルのプールで一泳ぎ。

私の引き締まった体を見せつけてやりました。

その晩は、レストランで外食。

これも、例によって、日本人観光客の集団と一緒。

 

このレストランで、また一経験。

フランス料理のコースで、メインにヒレ肉をオーダー。

で、出てきた肉が、何と、糞(ウンチ)の形をしている。

8cmぐらいの長さのが3切れ。

色といい、上にかけたソースといい、もうソックリ。

これ、私だけじゃないのよ。

日本人全体が相手。

 

以前、エジプトのカイロでも、糞の形の肉料理を見たことがあります。

これも、恐らく、日本人観光客向けのレストランの定番料理なのでしょう。

(皆、よく、我慢して食うよナー。

私は、タップリと仕返しをしておきましたけど。

その顛末は、また、いずれ、機会があったら・・・。)

しかし、エジプトの糞は、挽肉を使って、形を作ったものだった。

それに引きかえ、フランスの文化は、ゲイが細かい。

ヒレ肉よ、ヒレ肉。

よくぞ、あの形にヒレ肉を切ったもんだ。

何か専用の装置でもあるのかねー。

味は、普通の肉の味だったけど・・・。

(一応、試食してみたよ、今後の参考までに。)

日本人はカレー好きだから、何か、国際的に誤解をされているのでは?

(これ皮肉。

実際は、誤解じゃなくって、確信犯でしょう。

マ、それほど、現地人の嫉妬は根深いってことよ。

休み毎、よく行くよな、海外旅行に。

馬鹿にされに行ってるようなもんじゃないの、私以外は。

そして、馬鹿にされているという事実すら気付かないという有様。

まさに、観光客ピエロか。)

 

その晩も早めに寝る。

水は出しっ放し。

で、今回の旅行は、結局、女抜き。

糞のレストランの目の前のテーブルに、現地の綺麗どころはいました。

3/4ぐらい白人で、1/4ぐらい土人の混血2人。

東南アジア系のホモすら1人いた。

そういう方面は、至れり尽せり。

しかし、当方、糞に声をかける気は無し。

 

翌日、午前中に帰国の途につきました。

さすがに、帰路には、噴霧無し。

で、その日の内に、成田から家へ直行。

以上が、今回のニューカレ旅行の顛末です。

どうでした、読んでみて、面白かったですか。

実際に旅行をした私が、一番、面白かったですけど。

 

ただ、今回の旅行で、次の点だけは、客観的に見て、興味深い点でした。

つまり、ホテルのプールで、白人の綺麗どころ(一人だけ)が、トップレスで日光浴をしていましたよ。

何かのサービスでしょう、キット。

今まで、世界中の色んなリゾートホテルに泊まりましたが、ホテルのプールでトップレスを見たのは、ここだけ。

海岸なら、オーストラリアのシドニー近くでも、ブラジルのリオでも見れる。

(という観光ガイドの話。)

運が良ければ、夏の湘南海岸でも見れる。

しかし、5つ星ホテルのプールとなると、話は別儀。

(そういえば、このホテルでは、(あの糞騒がしい)子供の姿を見かけませんでした、プールでも。)

 

但し、君達も行って見ることが出来ると言う保証は無し。

(多分、無理です。)

マ、我慢して、風俗にでも行くのですな、池袋の“天国に一番近い島”とか・・・。

 

これで、今回のニューカレドニア旅行記は、お終い。

 

 

 

 

 

四月ニ十日

学会発表の準備が無事、完了しました。

学会名は日本ファジィ学会。

そのうち、関係資料を、このHP上で公開します。

素人にも理解できる文章になってます。

(君達にも理解できたら、それは、一に懸かって、私の説明が上手なせいです。

内容が簡単なわけではありません。)

楽しみにしていてください。

 

ところで、そろそろ、御真影のページを仕上げにかかろうと思います。

取り敢えず、今回は、私の授業風景写真のページまで。

どうですか、デザインは?

以後も、同様に、各ページとも、日本趣味で統一し、最終的には、世界一“優雅な”HPに仕上げる予定です。

 

世界の遺跡巡りの写真ページは次回ということで・・・。

但し、次回には、国の数と写真の数を同時に増やします。

こちらも、楽しみにしていてください。

各国とも、今回のニューカレのような武勇伝が、各写真の背後に控えてます。

その点を噛み締めながら眺めると、また一興でしょう。

そのうち、気が向いたら、そして、暇が出来たら、各武勇伝を語りたいと思います。

(忘れないかなー?)

結構、手に汗握るストーリー展開ですよ、各国とも。

(インディー・ジョーンズか、私は。)

これぞ旅行の醍醐味。

もし、皆さんの中に、“・・・国について旅行談を聞かせて”というリクエストがありましたら、遠慮なくメールをどうぞ。

その国を優先して、旅行談を語ります。

しかし、何回も言いますが、忙しいので、すぐにリクエストに答えるというわけにはいきません。

この点は、承知しておいてください。

(このままだと、世界のリゾート巡りのページは何時になることやら。

 

実は、私の場合、仕事を含めた日常生活そのものが、かなり刺激的です。

(この月報の3月分の書き出しを覚えていますか?)

そこいらのテレビドラマより刺激的。

これ、本当の話。

勿論、常に私が主役です。

人よんで、”007”。

殺しのライセンス(比喩)を持ち、何故か、行く先々、常に、美女が回りにいる。

そして、恐らく、生涯、現役。

但し、エージェントじゃなくって、支配者側として・・・。

この意味で、私の旅行は退屈な日常からの逃避ではありません。

言わば、日常の延長、国際版。

次回の旅行は、5月の連休にしなければ(まだ、決めてません)、8月にベルリンとミュンヘンへ行きます。

(学会です。)

ドイツ人の正体でも探ってきますか。

 

話のついでに言うと、私に対する比喩には、様々なものがあります。

(実際に、私の耳に入った例のみ列挙。

ホント、よう騒ぐわ。)

歴史上の人物では、

“上宮皇子(聖徳太子です)”、

“信長、秀吉、家康”

の三羽烏(ようもまあ、コロッコロッ変えるわ、時と場合で)から、

忠臣蔵の“綱吉”、“柳沢吉保”、“昼行灯の浮き様(大石)”。

さらに、幕末、明治の“大久保利通”(西郷じゃないの)や“坂本竜馬”・・・。

(どうもNHKの大河ドラマに影響されているようで)

 

漫画でいえば、

“北斗の拳のケンシロー”、

“ドラゴンボールのベジータ”、

”バスタードのダークシュナイダー”・・・。

小説では、

上の“007”、“インディー・ジョーンズ”から和様の“光源氏”まで。

中には、宗教界から“ジーザス”という掛け声すら・・・。

(世界的よ!

花火じゃないっちゅうーの。

ジンセイです。)

等々と、ホント、事欠かない有様。

それだけ、日本の大衆の分裂症が露呈されていたりして・・・。

(この島は、”サナトリウム列島”か?

オー、暗show。

イヨ!600兆・・・。)

 

 

 

 

四月ニ十一日

昨日述べた、私に対する比喩。

(渾名とは言えません。

“噂のヒソヒソ呼称”とでも呼ぶのがピッタリきますね。)

好評なので、少し解説しておきます。

 

“上宮皇子”

聖徳太子の若い時の呼称。

いつまでも若かったらしいですね。

50歳で、青年に見えたらしい。

夜目。遠目、御簾の内でしょうけど。

私も若く見えるのでしょう。

しかし、私は“和が尊い”とは思いません。

それよりも独創性。

実際、一族郎党皆殺しにされちゃーネエ。

図抜けた人物は、それだけで嫉妬の的です。

下々の言うことを素直に聞いて、“O(和)”なんて言ってた日にゃ、体が幾つあっても足りないでしょう。

彼は政治をやったから、仕方なく、方便で、和を説いたのですよ。

天才は和の必要なし。

但し、一匹狼になる気もなし。

第一、周りが放っておきません、私の場合。

天才、物言わざれど、下自ずから、大賑わい。

 

“源義経”

悲劇の英雄は日本人の浪花節にフィットするらしい。

白拍子とくっつくから安く見られるのですよ。

せっかく、鞍馬山で、天狗相手に修行したのに、三条大橋のエピソードでも軽く見られたよな。

かっこいいのは、ひよどり越だけか。

私は、あんな“苦労”はシトーナイ。

内弁慶も大嫌い。

壇ノ浦は、父方の祖先と関係あり。

(私の故郷は高知です)

奥州へ落ち延びる必要もない。

大陸で、“ジンギスカン料理”は食べたいけど。

(なぜ、北海道で、羊をジンギスカンと呼ぶのだろう?

“ビュッフェをバイキングと呼ぶが如し”なんちゃって。)

 

“信長、秀吉、家康”の三羽烏

ようもまあ、連中は比喩パターンをコロッコロッ変えるわ、時と場合で。

不如帰も堪らんヨ。

分裂民族には、ついていけまい。

 

世の中には“手を出しちゃいかん相手”というのが存在します。

信長がそうです。

私もそうです。

(この点は、比喩があたってる。)

そのことが判ってないと、光秀のように失敗する。

あのあたりが、“単なる秀才”の限度、悲劇。

神奈川大学にもウヨウヨいます、気の毒な腰弁秀才が。

一生を棒に振るタイプ。

信長は、腹括って、仏教に手を出したけど、それの仏罰があたったせいじゃありません、暗殺されたのは。

(家康だって、一向一揆と戦してます。)

あのまま行けば、彼は神の境地にまでいったかも。

途中で挫折したから、六天魔王なんて呼ばれるのですよ。

マホメットのように、最後までやれば面白かったのに。

惜しいことをしたノー。

歴史に、モシモはないけど。

(毛利の安国寺の方こそ、“高転びに転び”おって。

河原で晒し首かよ。

お前ごときが、批評できる玉じゃないわ、信長は。)

 

秀吉は、大衆に媚を売りすぎ。

(茶会や花見はいいけど。)

蜂須賀や穴生衆とは、どんな集団か?

朝鮮出兵して、勝てないのかよ、オイ。

つまり、日本国内でだけ通用する力だったのよ、秀吉の力は。

わかるでしょう・・・。

これじゃネー。

私の場合、決して大衆に媚は売りません。

第一、将軍や関白じゃないもの、売る必要なし。

(皇帝ならやってもいいけど。

その場合にも、大衆に媚売る必要なし。)

しかし、何故か、周りに人が群がる。

ある種の集団が纏わりつく。

その連中が、時と場合によって、敵になったり味方になったりしている風。

やはり、その場その場の風次第で変わる、海月集団か。

キチガイと・・・は使いようと言うけど。

 

家康は、長生きが取り柄。

神君、大権現とはいっても、まだまだ、ただの人。

ビチ糞じゃナー。

私も長生きをするつもり。

今から、子供も作るつもり。

子供には、城(会社)を持たす予定。

そして、私は、ただの人じゃ、終わらない予定。

 

元禄の“綱吉”、“柳沢吉保”、“昼行灯の浮き様(大石)”

私なら、一人で“真名手本神帝蔵”の主人公になる。

意地の仇討ちより、財閥になったほうが・・・。

綱吉は、学問好きで、母親孝行の部分が似ているのか?

善意の“生類憐れみの法”が、いつの間にか、悪法に捻じ曲げられたりして。

私も気をつけようっと。

柳沢は、小姓上がり。

しかし、私は小姓の経験なし。

公僕ですらなし。

忠義は、される方。

する方じゃない。

昼行灯は、討ち入り前のフリか、それとも本質か?

私は昼行灯にはならず。

むしろ、昼行灯を掲げて、猿の群れの中から、人を探すほう。

女遊びは、しないわけではない。

しかし、流されることはなし。

この点だけは、似ているか。

 

“大久保利通”、“坂本竜馬”

幕末、明治に次いで、第二の文明開化の時期か・・・。

しかし、今回は、“世界の夜明けは近いぜよ、弥太”ってなもんで、スケールが一格上。

連中の御都合主義は、“利通”の比喩に日本の舵取りを夢見るか。

しかし、私は、暗殺されるのは、ご免蒙る。

公僕になる気もなし。

竜馬の比喩は、世界の海援隊か、それとも、薩長同盟か?

この両項目、多少、比喩の意味あり。

(高知出身でもあるし)

やがて、わかる日が・・・。

しかし、成功直前に暗殺される気はなし。

せいぜい、エタに見張っていてもらおう。

利用できるものは利用せねば。

 

(以上、どうも、連中はNHKの大河ドラマに影響されているようで)

 

世界版では(個人的には、こっちの方が好き。

なんと言っても、スケールが大きいもの。)

 

“始皇帝”

私の場合、阿房宮で、毎晩、寝場所を変える気なし。

(阿呆は阿房とも書きますね。

日本人は本当に面白い民族。

中国では、馬鹿を阿房とは言いません。

もっとも、戦後、自分らのことを“家畜人ヤプー”と呼ばれたりして。

インターネットの“ヤフー”は中国人がオーナーでしょう。)

但し、度量衡の統一や運河の開発、万里の長城の建設は興味あり。

また、兵馬俑や地下宮殿も面白い。

勿論、焚書坑儒も。

次は、初代の世界皇帝に誰がなるかでしょう。

 

今更、皇帝なんぞ、現れるわけがないと思いますか?

歴史に逆行していると。

そう思う方が、歴史に逆行していると思いますよ、私は。

この意味、判ります?

深いですよ・・・。

猿でも、進化の過程で、身分制階層化社会を築いています。

ミミズは、階層化社会に生きていません。

蜂は、中間程度で、女王蜂の周りに働き蜂の群れがいる。

要は、人類にとって、どの社会構造が、生存し易いかでしょう。

果たして、原始共産制は生き易いのか。

マ、ソ連で、社会実験やったので、結果は明らかですけど。

しかし、そこから、再度、身分の階層化へと人類は進むのか・・・?

私には、その答えが見えてますけど・・・。

 

“アレキサンダー大王”

哲学(ということは、あのギリシャ時代には、学問一般と同義)を勉強しながら、侵略戦争をしたという傑物。

私も、研究しながら戦争している身ではありますが。

 

“シーザー”

今回の戦争では、とっくの昔に賽は投げられてます。

(賽銭はまだだけど)

で、人生のものは人生へ、人類のものは人類へ。

しかし、残念ながら、未だに、クレオパトラに会えず。

(前の嫁は、美人だったけど。)

一方、幸なことに、ブルータスにも会わず。

会う気もなし。

そもそも、今時、“高潔”なんて、どこ探せばいるのやら。

 

“チンギスハン”

言わずと知れた、東洋で唯一の、西欧への侵略者。

(日露戦争は侵略とは言えず。

太平洋戦争も、ダメ。)

次は“この私”という掛け声は、期待先行か?

日本人の潜在願望。

何が“普通の国”じゃ、白々しい。

落ち目の時だけ、しおらしいフリしおって。

ちょっと隙を見せると、たちまち、食み返るくせに。

 

 

漫画でいえば、

 

“ゴルゴ13”

世界的なスナイパーっていう設定だけど、あんなのすぐに潰されるよナー。

私は、生き残るけど。

一発で敵を仕留める技量が比喩の元か。

 

“北斗の拳のケンシロー”

ケンシローが城を築き始めたそうな、比喩では。

しかし、胸に傷なんぞないぜ、私には。

敵の秘孔は突くけど。

 

“ドラゴンボールのベジータ”

“孫悟空”じゃないところが渋い。

あの漫画、最初は西遊記の漫画版だったのに、いつのまにかストーリーが・・・。

しかし、地球の神が異星人とは、これ如何に。

ソフトバンクの孫は名前で得してる感じ。

この国の人物選びの“基準”は、その程度です。

まさに漫画。

 

“バスタードのダークシュナイダー”

結構、ファンがいる。

知る人ぞ知るっていう漫画。

神と悪魔と主人公の三つ巴が面白い設定。

ストーリーでは、神も悪魔も人類を虐めるのじゃ。

連中は、どうやら、私のことも、神でも悪魔でもない、第三勢力と思っている(というよりも、そう思いたい)雰囲気。

しかして、その実態は・・・?

 

宗教界から

“イエスキリスト”

絶対に違う。

あんなマゾじゃないです、私は。

ホモでもない。

(キリストは、多分・・・。

それとも、バイかな?)

そもそも、貧乏人の味方をしないもの、私は。

Churchとは関係するけど。

はっきり言っておくが、私は処刑される気はない。

 

この宗教の項目は、後で、必ず、より詳しい記事を書きます。

これ、約束。

それまでは、あまり軽々しく触れたくないのです。

わかるでしょう。

かなり(というか、最も)重要なテーマですから。

 

 

 

 

四月ニ十三日

二十一日の記事は加筆の上、月報の方に移しました。

今回は、その続き。

とにかく、私の周りで、色々と騒ぐ連中がいることは、誰もが認める事実です。

言わば、“集団ストーカー”状態。

やれ、“情報を寄越せ”だの、“仲良くしてくれ”だのと五月蝿いこと、この上ない。

学内の腰弁だけじゃなく(これだけなら、単なるイジメ。どこにでもある。)、住んでる町全体、ひいては、日本から世界まで巻き込んで、騒乱状態。

それぐらい、私が大物だという証拠。

なにせ、歴史と大金が懸かっているもので。

(どのように歴史と大金が懸かっているのか、やがて、徐々に判ってきます、このHP上で。

誇大妄想や冗談じゃなく、本当です。)

これは経験したことのない人には、決して判らない状況です。

最初の内は、連中も強気で、“国に逆らうのか”とか“キチガイにする”とか、“障害者にする”とか息巻いていましたよ。

しかし、実際に、私と戦争をやってみて、段々と言う事が違ってきた。

で、最終的には、前回に述べたような、スケールの大きな比喩を使うようになった次第です。

将に、ローマは一日にして成らず。

このまま、戦争を続けると、自分達も被害甚大だということが判ってきたのでしょう。

なにせ、世界を巻き込んでますもの。

日本だけで閉じてない。

連中、最初は、“やれるものならやってみろ”なんて勇ましいことを言ってましたよ。

で、やりました、目の前で。

(敵の雑音も、結構、脳に響くよな。

しかし、こちらの攻撃も、かなり、効き目があったみたいですよ。)

その結果、通常のケースと“何か違う”ということが、やっとこさ理解できたらしい。

違いますとも。

スケールだけじゃありません。

能力が違う。

“単なる天才”じゃなかったのだ、この私は。

この驚愕の事実こそ、このHP全体の背景に流れる基本思想の根幹です。

この点については、オイオイに述べます。

いきなり言うと、オカシイ扱いされるので、こちらも、十分に用心してかからねば。

オカシイで済むなら、こんなHPは構築しません。

というわけで、少しづつ、雰囲気作りをしていきます。

 

上に述べたことが真実かどうか、この時点で、何か目に見える証拠がほしい人。

きっと、いるでしょう。

そういう人のために、次の事実を指摘しておきましょう。

私の周りで跳ねている連中の中には、様々なグループがいます。

大学関係からビジネス関係、宗教関係から、マスコミ関係。

官僚・公僕から政治関係まで、多種多様です。

勿論、外国関係もいます。

(アメリカから帰国した時には、付け馬がついていました。

留学中、優秀だったもので。)

その中でも、特筆すべき集団として、例の部落・同和関係者がいます。

これは、今更隠しようもない、紛れもない事実です。

何故かって。

簡単です。

私が、この職場に転職した際、職住近接ということで引っ越しました、秦野に。

その引っ越した先が、なんと、旧部落。

最近は、開発して、全然わからないのよ、これが。

引っ越して、1、2年たってから、タクシーの運ちゃんが教えてくれた、行き先言った時。

ホント、ショックでした。

まさか、この私が、よりにもよって、旧部落に引っ越すとは。

そう言えば、引っ越し早々、近所の連中の雰囲気が悪くなったな。

私が“溶け込まない”とかいって。

溶け込んでたまるかよ、部落にー。

冗談は、同和の顔だけにしてくれ。

ホント、苦労を絵に描いたような顔。

好き嫌いは個人の勝手でしょ。

少なくとも、部落と判るまでは、正真正銘、純粋に、好き嫌いで判断していたのですよ。

 

以下、同和に対する攻撃。 ・・・ (この部分を削除)

 

これだけ言っても、私は大丈夫です。

なにせ、同和も、かなりのことをやりましたもの、この私に。

連中のした行為は、いまさら、言い逃れの仕様がない。

まさに、人権侵害です。

多分、私が、最初から、部落差別をしていると錯覚していたのでしょう。

しかし、残念ながら、事実は違います。

第一、 部落地区だと判っていたら、引っ越すはずがないでしょう。

差別以前の問題です。

接触しません。

しかし、ここまで拗れたら、私も後には引けません。

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このページの内容(改訂前は、同和に対する攻撃が、もっと酷かったですけど)が臨時教授会で問題になりました。

学長からクレームが来て、このHPの内容・表現についての臨時教授会が開催されたのです。

そこで、世間がどうたらこうたら、組織がどうたらこうたら言ってました。

結論は、

「個人のHPじゃないから、相応しくない」

というもの。

勿論、私も反論しました。

第一に、この記事の内容は、広い見地に立てば、教育的内容であるという点。

(だから大学のHPに相応しいのです)

これは言い逃れではなく、本心です。

だからこそ、このように、問題になった事実を、内心“チャンス”と思ったのです。

第二に、記事の内容・表現の規制には難しいものがある点。

(例は悪いけど、ヘヤヌードやSMの歴史を振り返って見て下さい。)

しかし、連中の頑迷固陋さには通じず。

20世紀の基準に固執してました。

(21世紀に、どのような基準ができるか、不明でしょうに。)

 

要は、私が特別じゃないってことを言いたいわけ。

ついでに、教授会の権威なんてものも守りたい。

(教授を憧れの職業と錯覚させておきたいのでしょう、世間に。

現時点では、その方が、好都合だから。

やがて、世間の評価も変わってくるでしょうけど。)

で、結局、この23日のページは削除したほうが良いという多数決の結論。

その結果、このような記事に変更した次第です。

当の相手の同和はどう思うかな?

大学で、このような規制が相応しいかどうか?

ネチケットの問題とも絡んできますけど。

私にネチケットが無いのでしょうか?

そもそも、ネチケットとは・・・?

 

今、この国に、礼儀が残っているのでしょうか?

(過去には、ありましたけど。

日本は、水と安全と礼儀で有名な国だった。

変われば変わるものですね。)

年寄りの嫉妬と若造の生意気だけが目立ちます。

そして(この国には)イジメが残った・・・。

このままだと、まず、ダメでしょう、この国は。

以前から、ダメだダメだと言われ続けて来ましたが、案外と、持ちこたえて来ました。

しかし、今回は、マジに危ない。

 

第二次大戦後は、どん底に落ちたエネルギーを利用して、再浮上した。

この過去の成功体験が、こびりついているようです、この国には。

だから、今回も大丈夫という錯覚。

しかし、今回は、根本的に違います。

歴史を知らないのですか?

今回は、蟻地獄に落ちたのですよ。

跳ね返る底が無いの!

断っておきますが、私は日本を救う気はありません。

それよりも、人類全体を相手にしたい。

そして、歴史に名を残したい。

その結果、日本が再浮上したら、それは私の御陰。

潰れたら、連中の責任。

心底、嘘偽り無く、そう思っています。

 

どうです、有利な立場でしょう。

そのための準備をしてきたのです。

腰弁連中は、その邪魔をしたい。

このHP上の表現が過激だと、ここぞとばかり喰いついてくる。

(餌撒いたとも知らず。)

まるで、タスマニアデビルみたい。

過激なのは当たり前でしょう。

オカシイんじゃないの。

限界を探っているのですよ。

試しに、平塚キャンパスで学生相手にアンケートを取ってみませんか?

私のHPを見て、どう思うか?

変更の必要があるかないか、○×で回答させたら、どのような結果になるでしょう?

果して、“教授会の定説”通りの結果になるかどうか・・・。

今更、

「表に立たず、裏で便利な情報だけ流せ」

と言われて、ハイソウデスカと従う気は更々ありません。

私は下働きができないように育ってきたのです。

私の代わりを育てることが出来ますか、君らに?

 

 

 

 

四月ニ十六日

現時点で、まだ、同和からの反応なし。

連中も、それほど馬鹿じゃないってことか・・・。

マ、いいか。

そのうち、機会があったら、また、弄ることにしましょう。

 

で、今日は、少し格調高くいきます。

 

前々回、私が(戦いの末)獲得した、様々な“ヒソヒソ呼称”の内、代表例を挙げておきました。

そこでは、簡単な解説も付けておきましたが、いささか簡単すぎるという人もいます。

もう少し、詳しい説明があれば、なお楽しいというわけです。

特に、歴史上の人物評には、私独自の視点が入り、興味深いのだと思います。

(この意味、判ります?

読んで字の如くですけど・・・)

その道の専門家にも、参考になるかも。

というわけで、今回は、もう少し詳しい“歴史人物評”を。

といっても、前々回に採り上げた偉人・傑物・英雄全員を対象にはできません。

(やればできるけど、当方に、それほどの親切心は無し。)

スペースの関係もあって、誰か、1名だけ採り上げることにします。

誰を選ぶか、少し迷いましたが、ここでは、信長を選んで、寸評をします。

 

覚えているでしょうか?

以前、私は、信長評で、“世の中には、手を出しちゃいけない人物がいる”と言ったことを。

この意味が判る人は少ないでしょう。

はっきり言って、宗教と関係してきます。

ただ、現時点で、いきなり宗教に入るのは、いささか時期尚早です。

胡散臭いと思う人もいるでしょう、キット。

(鸚鵡じゃないぜ。

統一教会でもない。

天声でもない。)

第一、私は、レッキとした科学者です。

しかも、最先端分野(情報通信)の第一線で活躍しているバリバリの現役です。

おまけに、ベンチャー企業で、ビジネスをしている身分です。

ビジネスに差し支えるような真似は、決して、絶対に、しません。

どちらかと言えば、ビジネスのために、この情報を流しています。

(霊感商法じゃありません。

誤解しないように。

もっとも、インターネットビジネスの投資は霊感商法と一脈通じる処があるけど・・・。

素焼きの壷の値段とインターネット企業の株価は大差ないのでは?)

この点を大前提に、以下、安心して、読んでください。

 

ここでは、(歴史学者ではなく)情報科学者として、次のような事実を指摘するだけに止めておきます。

ここで、“事実”という言葉を選びましたが、以下の事実には、私の視点が関係していることを忘れないで下さい。

 

小説や大河ドラマで、信長というと、必ず出るのが、例の、桶狭間。

あの戦いの時、奇襲直前に、“いきなり大雨が降り出した”という事実は、歴史上有名です。

それまでは、蒸し暑いので、今川方は、行進を一休みしていたのですよ。

鎧なんかも脱いでいた。

(差し入れの酒を飲んでいたかどうかは、ここでは問題になりません。)

そこへ、いきなり大雨。

普通は、あんなに都合よく、雨が降ったりはしないものです。

織田軍の勝利は、この雨に助けられた部分がかなりある。

“運が良かった”とも言える。

中には、“天の助け”や“神仏の御加護”と思った人も、現実にいた(いる)でしょう。

皆さんは、この“偶然”の現象をどう思いますか?

私は、この偶然に、惹かれます。

そこに意味を見出します。

これが、私の視点です。

その意味については、ここでは述べません。

 

この現象が、信長の生涯で、最も目立つものです。

しかし、歴史の表舞台には出なくても、他にも色々と“運の良かった出来事”があったことでしょう、キット。

もし、誰かが、信長にくっついて、逐一、(ある視点から)記録を取っていたなら、面白い現象の山が記録に残ったと思います。

(これは、私の推察です。

現実には、備に記録を取った人はいなかったので、証拠がありません。)

後から書いた、軍記の類は駄目です。

雨一つで、何を大げさなと思う人。

多いでしょう。

そのような人に対しては、次のエピソードを指摘しておきます。

これは、自然現象の対極です。

 

あの、敦盛を舞った後、“信長が単騎駈け出した”というやつ。

しかも、集合地点に着いた時には、何時の間にか、配下が集まっていた。

普通は、桶狭間の合戦を面白可笑しくするための、ドラマの脚色と解釈するでしょう。

事実のはずがないと。

「城主(あの当時は、まだ、“館”程度でしたけど)が一人(側近だけ連れて)で、戦に飛び出るはずがない。

しかも、配下は集合場所に、どうやって集まるのだ。

時間と場所が予め判ってないのに。

雰囲気で察知したのか?」

という疑問です。

けれども、私は、(事実かどうかは別にして)この現象は可能だと思います。

 

これが可能であると主張できるだけの現象を、実際に経験しました、この私も。

しかも、何度も。

というよりも、私の場合、この12年間、ほぼ毎日。

(最近、かなり常態に戻りつつありますが)

この意味で、私の方が、信長より“格”が上です。

(ここでは、どのような経験なのか、具体的には述べません。

これが、例の、“ヒソヒソ呼称”と繋がってくるのです。

ホント、集団スト−カーも大変だわ。

よくもまあ、タイミングを合わすこと。

敵味方は別にして・・・。)

はっきり言っておきますが、“単なる超能力者”には、この真似(大衆動員)が出来ません。

できないのです。

(もし、超能力者が“いる”と仮定しての話ですよ。

現実にいますけど、ここでは深入りしません。

早稲田の腰弁あたりから、怪しく思われるのがオチ。

私は、彼より、もっと科学者ですもの。

仮定で話を進めます。

これからが、本論の真髄です。)

 

いいですか、桶狭間の合戦の場合、実際に戦う前の予想は、10中8,9は織田の負けというものでした。

まさに、勝てば奇跡というケース。

(勝った後の解説は、それこそ、勝てば官軍。

どうにでも言える。)

で、城主が一人で駈け出した。

そこで、皆さんなら、どうします?

(ほぼ確実に)負けるとわかっている戦についていきますか?

別に強制されたわけじゃありません。

それが、何故か、現実に集まったのですよ、兵隊が。

これは、それまでの“信長の生き様”がなせる業です。

良く言えば、“人徳”。

悪く言えば、“カリスマによる集団催眠”。

 

もし、信長が、強制的に兵を集めていたら、戦場へ着くまでに、途中で逃げ出す兵が後を絶たなかったでしょう。

実際、そういうケースはいくらでもあります。

篭城中ですら逃げ出す。

誰しも、死にたくはない。

(あの当時は、まだ組織的な城勤めは少なかった点に注意してください。

戦争は、周囲の豪族や農民を集めてやったのですよ。)

それほどの、兵力差です。

誰が見ても、絶対的に不利な状況。

常識なら今川が勝つ。

それでも、兵が集まったのです、桶狭間の合戦では。

逆に言えば、付いて来る精鋭だけ集めたとも言える。

それが、ちゃんと集まった。

(戦が出来る程度、というよりも、動員力のほぼ全員に近かったらしい。)

ここです。

皆さんは、どう思いますか?

 

この視点によって、上述の“雨”の意味が、深化したでしょう。

いかがです。

“雨”を補強するため、次回は

「孔明の“風”」

を採り上げます。

孔明も、私に対し、良くヒソヒソされる比喩です。

 

 

 

 

四月ニ十七日

今日は、孔明について私説を述べる予定でしたが、予定を変更して、桶狭間の合戦、その2。

まだ、私の言う、“視点”の意味が、よく理解できない人がいると思うので、その訓練です。

 

世に、桶狭間の解説は、山ほどあります。

まさに、諸説紛々状態。

で、真実は一体、どうなのか?

神以外、今となっては、誰も知る由もない。

ただ、(敦盛は別にして)、

「単騎(側近数騎を連れて)駈け出した点」

「やがて配下が集合した点」

「豪雨が降った点」

「奇襲に成功した点」

は、どうやら事実らしい。

これらの事実から、歴史をどのように構成していくか。

これが歴史の醍醐味でしょう。

というわけで、本日は、昨日とは違った視点から、同じ事実を眺めてみましょう。

 

まず、信長の配下の中に今川方のスパイがいたと思うのが自然でしょう。

これは、今川の配下に、信長のスパイがいたのと、ほぼ同程度の確率で、確かです。

少なくとも、城下にはスパイが潜んでいた。

これは、常識です。

この状況のもとで、奇襲をしたい。

できれば、相手に知られたくない。

とすると、論理的な帰結として、軍団を編成して、堂々と戦に出かけるような真似はしないものです、普通。

できれば、敵方には、篭城戦と誤解させたい。

それで、油断をさせたい。

これが、いきなり、単騎で、明け方に駈け出した理由でしょう。

勿論、前もって、行き先は(味方にも)周知徹底させてない。

(周知徹底させると、敵方にも洩れる恐れあり。)

さらに、集合場所を、2,3回、変える。

その際、寺や神社に、戦祈願するようなフリまでする。

その結果、かなりの人数が一箇所に集合したにも拘わらず、恐らく、今川方には、ばれなかったのでしょう。

さもなくば、(奇襲されると判っていて)今川方が油断するはずがない。

(織田方の目の前で、休憩なんかするか、普通。)

 

織田方にしたら、目の前で、今川方がくつろいでいる。

これは、バレテない証拠。

しかも、御丁寧に、豪雨が降ってきた。

これで、奇襲の音が消せる。

もし、この時、豪雨が降ってなければ、奇襲は失敗した可能性があります。

地の利が平地であろうが、谷であろうが、山の上であろうが、普通の天気なら、いくらなんでも、直前まで敵が気付かないなんてことは、ありえません。

昼過ぎで、寝てるわけじゃないのですから。

しかるに、事実関係を述べれば、今川方は気付かなかった。

信じられないけど、これは事実です。

ここです。私が注目したのは。

 

今川の将兵は気付いていたけど、大将に恨みでもあって、わざと知らないふりをしていた可能性は?

これは、あり得ません。

殿が上洛の最中です。

自分達も分け前にあずかろうという野心に溢れていたはずです。

第一、戦の結果、今川方は数千人が死んでいる。

これは、マジな戦いです。

中には、信長は、前もって、豪雨が降ることを知っていたと言う人もいます。

果たして、“知っていた”のでしょうか?

雨が降りやすい時期であったことは確かでしょう。

しかし、事前に知ることができるのか?

現在の、天気予報を考えてみてください。

もし、知っていたなら、“予知能力”としか言いようがありません。

 

それとも、何らかの能力を使って、豪雨を降らしたのか?

それとも、まったくの偶然か?

皆さんは、どう思いますか?

というわけで、次回は、お約束の、”風の孔明”につなげます。

 

 

 

 

四月ニ十八日

今日こそ、孔明について私説を述べる予定でしたが、学内で腰弁共が邪魔をしたので、私の臍が曲がりました。

どんな邪魔をしたかと言うと、これが信じられないことに、このHPの閉鎖。

詳しい事情は、以下のようになります。

 

なんでも、神奈川大学の学長から、

「23日の内容はケシカラン」

というお達しが理学部宛に来たそうな。

(あのページのFAXと一緒に)

で、急遽、臨時教授会が開催されることになった。

当然、私も出席しましたよ。

そこで、案の定、議題は私のHPについて。

色々と議論をした挙句、結論は、

 

「情報科学科のHPを一時閉鎖。

私のHPも1カ月ぐらい閉鎖。

その間に、学内でHP表現基準の作成。

23日の文章は削除。」

 

となった次第です。

削除と言われたので、改訂版を23日の月報に載せておきました。

まあ、見てください。

内容的、表現的にどうですか?

同じ内容の文書を、理学部の全教員にメールで配布しておきました。

基準を探る展開ですな。

 

人によっては、頭にきて、

「以後、サービス情報は流さない」

と決心することもあるでしょう。

しかし、私は違う。

あくまでも表現基準を探ります。

これがパイオニア魂。

知的探求心。

科学者として、最も相応しい態度。

一方、腰弁は、そうは思わないらしい。

あくまでも、私の表現基準が、世間的に見て、ズレているの一点張り。

そりゃそうだよな。

連中、自分の専門分野の研究ですら、新しいテーマは採用しないもの。

頭が干上がっているせいで。

なにせ、大学は

「それまでの仕事の御褒美で、余生を静かに送る場所」

と思っている風。

まったく、信じられないよ。

だから、日本の大学は、世界基準では2流以下なのです。

(番付では、確か、東大が“100番以内に入るか入らないか”というところ。)

個々の論文の文献引用の回数なんて、基準にはなりません。

例えば、あの有名なアインシュタインの相対性理論。

一体、何人が参考文献に挙げてますか?

今では、常識化してるから、だれも挙げない。

小粒の2次文献、3次文献ばかり挙げる。

専門の名の下に、重箱の隅を突くようなやつ。

このあたりに登場するのが日本人の論文です。

本校には、東大定年組が多いのですが、それでも、隠居。

 

話が、雲の上の序列に及んだところで、再度、下界に舞い戻りましょう。

何を言いたいかと言うと、

「インターネット上のネチケットは、各国の個性よりも、世界基準を確立する方向へ向かうであろう。

(これは、私のプロとしての予言です。)

今、現在は、この基準を探っている段階である。」

という点です。

つまり、現時点では、“オカシイ文章”の基準は無いのです。

(画像なら、統一見解が纏まり易いでしょうけど。)

(神奈川)大学の先生としての基準すらない。

例えば、丁寧な言葉でマホメットを(英語で)非難する。

これは、ある国ならOK。

別の国なら×でしょう。

じゃ、インターネット上では、一体どうなるのか?

勿論、君子危きに近寄らずで、マホメットを話題にしないほうが、無難です。

それはその通り。

なら、マホメットは触れてはならないタブー、聖域なのか?

ここが、今回の騒動のポイントです。

 

腰弁共には、事の重大さが判っていないようですけど・・・。

何たる単細胞。

無邪気に、“削除”とほざきおって。

私の文章の表現の端々に、人を揶揄する雰囲気を見て取る人がいるかもしれません。

しかし、これが面白い、楽しいという人もいるのです。

例えば、“腰弁”という用語・表現。

只の揶揄じゃなくって、“本質を突いた独自の表現形式”でしょう、違いますか?

使用する側のスマートさが、ストレートに出ている。

逆に言うと、腰弁扱いされる方は、堪らんでしょう。

しかし、この“腰弁”という用語、少なくとも、禁止用語ではない。

同様に、“同和・部落”も禁止用語ではない。

“キチガイ”すらOKでしょう、違いますか?

(広辞苑に載ってますよ)

“精神病・分裂症”は医学用語です。

“阿呆、馬鹿”は至る所で見かけるし。

マ、個々の単語を採り上げていたらきりが無い。

 

但し、使う人の品性が、文章に出るという点は同感です。

この意味で、私は、フロンティアにいる。

このことは充分に自覚してます。

一歩間違えると、今回のような騒ぎになる。

(同和には、言いたい事が山ほどありますが。)

「それでも、私の文章は、(面白いだけじゃなく、)読んで為になる。」

違いますか?

独り善がりでしょうか?

名指しされた、当の同和はどう思います?

そろそろ、こちらの意図が読めるころですな。

 

言ったでしょう、私は自分のブランドイメージを下げる気はないと。

上げているのです、この文章で。

値打ちを上げるには、人と同じことを、同じようにやっていたのでは埒があきません。

これこそ、大衆が決して浮かび上がれない理由なのです。

横並び一線で、用心しつつ世渡りをして、他人と違う結果を得ようというのは、原理上無理なのです。

こけないかもしれないが、決して上がれない。

このことは、多分、本人自身が、一番良く、身に染みて、判っていることでしょう。

だからこそ、成功しかかった人の足を引っ張る。

一方、冒険すると、危険です。

図抜けた力がないと、通常は、潰(さ)れる。

しかも、横並びの集団に。

1:多では、不利は目に見えてます。

しかし、それでもなお、敢えて、冒険する奴もいるのです、この世には。

だからこそ、この世は面白い。

だからこそ、人類は進化・進歩する。

 

かくいう私は、大冒険をしてます。

だからこそ、成功した時の見返りが大きい。

伊達に、“財閥”なんて口走っているのではないのです。

というわけで、私のあの文章は、本当に、誰が見ても、適切ではないのか?

何か別の要素が、文章評価に入ってませんか?

これ、マジな話題ですよ。

なにせ、歴史が懸ってます。

 

これで、4月の月報は

・・・終・・・。