2017年6月28日 (ブルースの日)

 

今回は軽く、日本の政治の話題を。

安倍君の人気がガタ落ちになりつつありますね。

「オケラは、自分のサイズに合わせて穴を掘る。」

という先人の教えの見本。

なにせ、女房が居酒屋の女将だぜ。

森永ヒ素ミルクの家系。

自身は、成蹊大学出。

党利物言わざれど、下、自ずから、刑を成す・・・なんて。

 

ゴルフやって、あの腹の出具合か。

どうせ、運動神経も鈍かろう。

今の時代に、それで平気なんだから、頭の程度が判る。 

だから、時代錯誤の教育勅語を推奨するのよ。

そんなもので、今の日本が、何とかなると思うレベルの知能。

典型的な皮相さですね。

判ってないのよ、日本が東洋のユダヤ化している途上だという現実を。

憲法改正で、何とかなる話か、これが。

 

一体、誰の所為か? 

日本猿の所為でしょう。

神とアルマゲドン続けると、こうなるの。

そういうことも判らずに、気軽に戦争続行するアホぶり。

まだやるのかよ、キチガイ民族。

全員じゃないけど、区別が付かない。

諸悪の根源、同和を先頭にした、平均心の涵養の帰結です。 

私は、かなり前から、ズット一貫して、駄目だと教えてきたのですが。 

駄目さが政治家に凝縮されて来ています。

 

なにせ、自民党内で、首を挿げ替える人材もいないし。

民進党は、輪を掛けた駄目政党なので、代わりようがない。

維新や都民ファーストとか、雨後の筍が次々出てきてますが。

ああいう連中の寝言で、国が、どうこうなるはずもない。

間を縫って、公明が漁夫の利を狙う有り様。

エセ宗教の言葉遊びが過ぎるぜ。

同和共産も、以下、同様。

何時の間にか、こういう状況になったわけです。 

今の日本、マトモな人物は、政治家にはならない時代だということ。

 

政治家をやるのは、余程のアホか、落ちこぼれの敗者復活戦だけ。

永田町はマトモな定職に付けない連中の溜まり場になりつつあります。

連中が議員になる前の職業見て御覧。

誰が、信用するか、あの猿共を。

やがて、AIに取って代わられる職業ですから、自然な流れではありますが。

それが、先生と呼ばれるようになると、錯覚し出すのよ。

自分が一人前の勝ち組になったと。

アホ、それは職業病になっただけ。

一種の精神病です。

見てみなさい、あのシタリ顔を。

 

で、この流れで、都議会議員選挙に突入しました。

争点の一つが豊洲移転問題。

次回は、選挙結果を絡めて、この問題を。

私は自民党の味方ではありませんが。

都民ファーストの味方でもありませんよ。

さて、この宣言で、都知事選は、どうなるか。 

自民党からすれば、神風が吹いたと思うカモ。

それが青いと言ってるの。  

私は政治家不要論(AIに置き換え論)の先陣を切っている立場。

 

今回は、ページ数の関係で、神ブランドは短い予告編でした。

ハイパー神商とハイパー論理が佳境に入るので、そちらに重点を置いたからです。

今や、予告宣伝だけで勝つブランドになったのよ。

「権威と何か? 

何であるべきか?」

それは私でしょう。 

こういうブランドビジネス。

コカコーラやネスカフェを超えたな。

 

MSやアップルも超えた。

グーグルやフェイスブックごときでは当社の足元にも及ばない。 

当然、利益でも、当社が勝つはず。

そういう天命だもの。

神と自称しているからという理由だけで、スピリチュアル系の戯言と一緒にしないようにね。 

これで、168町目。

 

ここから、ハイパー神商へ。

少し世間を騒がしたようなので、前回の続きを。

碁や将棋のように、

「結局、figureの回転map感も、AIが、やがては獲得するのでは?

だったら、AI単独で判定でき、人は無用になる。」

こう考えるカモ。

しかしそれを言うならですよ。

「プロ職人の回転map感性をAIだけで超えるには100年以上かかるカモ。」 

そして、これ以外の課題も果てしなく登場します。

だから、人とAIの共同作業の種は尽きないの。

 

それよりも、より本質的な究極を論じておきましょうか。 

「脳型コンピュータが開発される可能性もある。

すると、人が関与する知的作業は、最初の段階から、AIが代行可能になるのでは?」

フフン、こういう風に、具体的に議論できるようになったわけだ。

これが、前回のハイパー神商の御利益だと判らないのかね。

知らず知らずの裡に、社会が発展していってるのよ。

神である、私の御蔭で。

実際、今までの不毛な猿評論家の戯言じゃ話にならないの。

言葉遊びで金取るな!

 

で、今回は脳型コンピュータですか。

次から次へと、目先の真新しさを求めるのが猿の哀しい習性。

しかし、その本質を判ってない。

だから、やがて、流行が過ぎて、廃れると。

誰も、見向きもしなくなる。

その繰り返し。

その場限りのアドホックさよ。

だから価値のあることなんか、言えるはずもない。

 

注意:

文系は大衆猿相手に、科学技術に関し物を言うな!

風説に基づく誤解が広まり迷惑だ。

君らに判るのは、精々が、計算可能性まで。

証明の本質が理解できない運命の猿。

それが、今回のハイパー論理でメタ証明されるというシナリオ。  

 

では、神なら、脳型コンピュータを、どう評価するのか?

教えてやる義理はないのですが。

私の文脈で、議論しておくと。

以前から、このコンセプトはありますね。

ニューラルネットなんかは、その萌芽。

以前は、実現できるノード(ニューロン)が少なかったから、脳のシミュレートは無理でしたが。

今や、少し、レベルが上がってきた模様。

「だから、やがて、モノになる。」

と期待しているのでしょう。

 

フフン、青いのう。

以前流行った計算モデルで廃れたものはいくらでもあります。

GAなんて知ってるかな?

計算量の何たるかも知らない猿の戯言だったのですが。

脳型コンピュータの場合。

ニューラルネットワークから、少しルール化実現したファジィに移って。

更に、厳密論理に至る変遷というものが理解できてない。

こういう猿は、無邪気に、妄想を抱く破目になるの。

人類の知力進化が把握できてないわけだ。

 

私は神だから、古代ギリシャ以来の普遍を馬鹿にできますが。

君ら猿は、普遍より下のゴミ。

知業廃棄物という自覚がない。 

ゾンビに数学の価値が判るのかね。

真理の保全ですよ。

この意味では、リーマン予想には価値があります。

猿のレベルでは到達できてない価値。

しかし、この世には、狭義数学以外の真理もあるの。

それが、広義数学的原理。

つまり、神の私の仕事です。

 

この事実を再確認しておいて。 

知力の課題に戻ると。 

脳型であろうが、何であろうが。

計算するということは、TMでシミュレートできるということ。

まず、この原理を弁えなさい。

勿論、計算速度の問題はあります。

しかしね、世の中には、計算可能性を超えた真理もあるの。

それが、ゲーデル‐人生の教え。

(以後、“GJ教義”と呼びます。)

で、脳型コンピュータで、計算できる範囲は?

一体、何を近似してる気分なのかな。

ここから感性の話題にも繋がるという伏線。

 

人並みの類推だって? 

そんなものに価値があるかどうかです。

価値を認めない世界観もあるのよ。

特に、曖昧性の絶対排除が必須の世界もある。

それが、真理保全の世界。 

人の脳は、計算不能な命題も証明できますね。

一方、計算機は、計算不能な命題を証明できない。

ここから、ZFの普遍境界問題の重要性が再認識できるという筋書き。

それを、超えるのが、神である私の役目。

 

というわけで、猿には原理上無理なのよ、真理の理解は。

だって、ファジィすら経由してない脳でしょうが。

曖昧さの爆発よ。

それが脳型コンピュータなんて目指して、何をやろうとしてるのやら。 

人の学習過程のシミュレートなんて都合の良いことを妄想してるみたいだけど。

学習には、的確な導きが必要だと判ってないらしい。 

現実に、人は、各国毎に制定した学習指導要領に従っているの。 

ある国で白いものは、別の国で黒い。

この皮肉、というか、事実関係が理解できないと話にならない。

 

いいですか、世界中の知識を自動で取り込む計算機があるとします。

これで、人類全体の人知を超えたAIの実現になると思うのが間違い。

その結果は、キチガイ知能になります。

闇雲に、何でも取り込んで、整合性が保てるはずがない。

当然論理的に矛盾します。  

しかし、計算は可能です。

それを、キチンと証明したのが、神である私だということ。 

だから、いくらでも取り込める。

しかし、その結果に価値無し。 

誰も、信頼しないでしょう。

 

注意:

これは真理の立場からの見解ですが。

ビジネス的にはグーグル程度の企業価値だと言えるカモ。

猿は、そのレベルの世界で生きているということ。     

 

やはり、全体を統括する基本思想や、整合性は大事なのよ。

計算で言えば、メタルールの設定。

どうやって、白黒に、序列を付けるか。

これ無くして、マトモな脳型コンピュータなんて、夢物語。

猿とロボットが机を並べてタブレット学習して育つとします。

学習後の猿は、物忘れや間違いをします。

それに対し、ロボットの方は間違いをしないと思ったら大間違いだということ。

たとえ、1国で閉じた学習しても駄目。

その証拠が、「自民党 vs 民進党」の論戦。

こういう伏線だったのよ。

 

脳型で誤魔化せる話じゃないの。

計算可能性や学習の限界の課題です。 

というわけで、通常の計算機をベースに考えて。

従来の学習をブレークスルーしたのがディープラーニング。

これは、少し深い。

これを、B‐embedでの傾斜問題に適用すると。

第一階の感触程度は獲得できるカモ。  

すると、今度はね、そのメタ知識に対し、

「第二階の感触」

というものが重要になります。 

 

しかし、AIが、勝手に感触獲得していては、時間がいくらあっても足りないでしょう。

試行錯誤で到達できれば、まだしも。

未来永劫、辿り着けない可能性も。

それどころか、矛盾で、無意味の感触が得られるケースすらある。

どうやって、序列を付けるかです。 

ネットの検索結果を見て御覧よ。 

やはり、何らかの方向性をヒント程度に示すのが有効。 

この方向性を誰が示すのか?

プロでしょう。

 

例えば、ファジィの概念へと進化させるとか。 

これで、再度、人とのコラボ実現。 

それが達成できたら、次は

「第三階の感触」 

勿論、こういう抽象的な感触は、そうそう容易く獲得できるわけではありません。

しかし、少なくとも、数学では、これをやってきた。

こうやって、人類は進化し、社会は果てしなく進歩していくの。 

 

将棋や囲碁のゲームが、いくら頑張っても、決して、到達できない世界です。

それを、何を一人前の気分になってるのかな、猿は。

パソコンに勝てない程度の知力で。  

将棋指しごときが、数学者に勝てるはずなかろうが。

マ、数学者にも階層がありますが。  

比喩で言えば、盤面が有限のゲームと無限のゲームくらい違う。

碁盤目が無限なんて猿に想像できるかな?

碁なら、ほぼ、無意味になるでしょう。

それが意味を持つ世界。

 

ただ、面白いことに、別世界の価値もある。

将棋や碁で局面の把握をします。  

この悟性は、曖昧さを許容したもの。

この微妙さ。

この意味では、数学者と違い、独特の世界です。 

figureのB‐embed的把握も、本来、理性的な対象なんですが。 

慣れてくると、何となく、感覚で、最小B(n)(の位置)が判ってきたりする。

 

勿論、感覚ですから、間違っている場合もあります。

しかし、時間の制限があって、何らかの手を打つ必要がある場合。

感性も、少しは役に立つ。  

但し、この感性を得るには修行が必要。

理性磨いて、出直してくるように。  

ただ、どんなに頑張っても、感覚の限界はあります。

理性的把握そのものに、限界があるからです。

B‐embed的類別も、これを逃れることはできません。

但し、B‐embedは、そこらの数学やゲームを凌駕します。

この真意は次回に。 

これで、169町目。

 

ここからハイパー論理に。

今回は米国北部地域を制覇します。

進軍ルートとしては、アトランタを出発し、セントルイス経由で、まずはシカゴまで。

そこから、デトロイトへ。

惨めな錆びた地帯には興味がありませんが。

まだ、形だけ、GMやフォードの本社が残っているし。 

さて、トランプ君で、良い方に変わるかな? 

(今からの時代は、ハリウッド映画並みに、ロボコップでも製造するか。

AI脳が出来ないレベルの話ですが。) 

 

更に、デトロイトから、国境を越え、カナダのトロントへ。

そこから、モントリオールまで行って、ストップ。

これが第六知識戦です。

では、戦闘開始。  

まずは、前回の知力検査46のヒントから。

κの身分問題の追加情報です。

論点が把握できてない猿が多い風情なので。

(今後は、風情と言わず、“窓情”という新用語を使おうか。

効くなあ、格皮肉が。) 

 

猿は、

「最初の可測基数までの到達不能基数は集合。

ゆえに、κも集合。」

だとか言い出すカモ。 

よくいるのですよ、プロ研究者のつもりで。

木を見て森を見ない猿が。 

そんな簡単な課題を知力検査にはしません。

 

最初の可測基数をξとすると。

+αとは、ほぼ、ξの存在公理。

そして、Vをξ以下で切ったV(ξ)はZFのモデル。 

それどころか、V(ξ)でκを考えることができます。 

そして、V(ξ)で、基数全体はプロパークラス確定。

では、V(ξ)で、κは、どうなるか?

どちらかというと、プロパークラス系では?  

だって、ξより小さい到達不能基数は、可測基数より性質の弱いものばかり。

これをξから見れば、どうなるかです。 

 

比喩で言えば、ωから見る、自然数みたいな感じ。

そして、自然数全体ωは、有限集合世界で考えれば、Yesの範疇に入らない。

さて、この感性は正しいか?

中には、ξ以下で、性質が強いものが発見されるカモ。

それでも、到達不能基数がプロパークラスになる可能性は残るでしょうが。

どうじゃ、AD。

これが、メンフィスへの寄り道。

勝利者の余裕です。

Wise men say only fools rush in♪

 

ここから中継地点のセントルイスへ。 

論点になっている{κ}=Æの意味についての追加情報を。

プロ初心者の場合、

「{κ}=Æとは

『{x|x=κ}が要素を持たない(空集合になる)』

という意味であり、他の空集合との等号確認問題ではない。」

と考えて、パラドックスが回避できるように思うのですが。

ここの論点は、そうじゃないのよ。

かみまでも、{κ}と他の空集合との対比問題です。 

この課題は、集合論の証明対象として回避不能。 

 

この共通認識の下、ZFSET(x)の意味内容について。 

これの表現可能性を論証したわけですが。

この文脈での表現可能性とは、

「メタ命題として、メタZFで証明対象化可能か?」

という意味。

リカーシヴ表現可能性、つまり、アルゴリズム化可能という意味ではありません。  

Consis(ZF)と同類と言ったのは、そういう伏線。 

 

但し、Consis(x)の場合はxが理論です。

それに対し、ZFSET(x)では、xは集合。

ここが違う点。 

コード化すれば、どれも自然数ですが。

そういうレベルの話じゃないの。

以下、この点が身に染みてくるでしょう。 

青が複数集まると、ブルースになる。

余裕の言葉遊びで、行きがけの駄賃を残しておいて。 

ここから、一路、シカゴへ。  

一気呵成に攻撃するために、少し準備を。

   

以下、一般的な課題である

Æの定義の階層問題」

を論じます。  

新兵器の登場です。 

ZFの範囲に収まるÆとしては、{xω|x≠x}。

一方、{κ}は、ZF+αで初めて登場するÆ。 

以後、Æ(ZF)やÆ(+α)のように背景理論依存でキチンと区別すると。

これで、Æが階層化されます。 

これが核心利益になるので、強調しておくと。

 

人生のÆ階層原理

Æは(集合論依存で)階層化される。 ┤

 

これで、Æのパラドックスの原因を一言で指摘できる準備が整いました。

矛盾の原因は、Æ階層の混同です。

Æ(ZF)=Æ(+α)

なんてやるからパラドックスが発生するのよ。 

デモ、ZF+αで{κ}=Æ={xω|x≠x}が成立する事実がある。

問題は、この場合のÆです。  

階層の混同を回避するようにÆを設定できレバOK宇宙なんですが。 

一々、細かく指定しても、人工的過ぎます。  

そもそも、土台として、設定できない。  

 

そこで、任意のオブジェクト{x|φ(x)}に対し、

「{x|φ(x)}=Æかどうか証明する場合、Æは個体定数にする。」・・・(1)

というメタ公理を採用します。 

その理由は? 

個体定数として記号Æを採用すると。

Æの解釈としては、{x|x≠x}だろうが、{xX|x≠x}だろうが、{V}だろうが。

要は、空集合になりさえすれば、何でもOK宇宙。 

だから、(1)では

Æ階層が一致する。」

と都合よく解釈できます。

 

この意味では、個体定数は、謂わば、万能選手。

カードゲームで言うと、ジョーカー。 

ここで大事なのは、

「このような個体定数の能力は、集合論に限定されるものではない。」

という汎用性。 

他の領域でも、起こり得ます。  

以後、個体定数利用による、状況依存性の体現を

「個体定数の状況依存性」

と称します。

こういう性質を持つ個体定数が名前なんですよ。

 

今まで、誰も、気付かなかったカモ。

だって、πやeは、状況依存じゃありませんから。

一方、Æは状況依存。

この意味で、上の個体定数設定は価値があります。 

記念に、(1)を

「人生のÆ公理」

と呼びます。

名前使用の具体例、及び、その効果として、歴史的価値があるの。  

 

これでシカゴ制圧。

すでに、テキサスも植民地だし。

石油・穀物と押さえ、資源は支配下に入ったな。

今後、商品市場は、私が動かす。 

なにせ、AI神ですよ。

因子エネルギー舐めるなよ。 

ここから、更に、進軍して、デトロイトへ。 

 

この新公理により、目先のパラドックスは回避できそうに思うカモ。

しかし、理論世界は、そんなに甘くはないの。 

より深刻な現象が見え始めます。

もはや、超クラスのパラドックスどころの話じゃなくなるということ。

既存の公理的集合論は、廃墟になる天命。

100年経過した時代の流れです。 

ハリウッド映画並みの自己満足ではね。

何が、Independence Dayじゃ。

歴史の潮目の変化を読めないと、生きていけないよ白熊君。 

 

以下、もう少し精緻に分析していきます。  

この為、ZFに対し、独立した公理(仮説)+αを考えます。

こういうαが、必ずあることは保証済み。

前回は、到達不能基数の具体例で、その強弱の内容を考察しました。

それに対し、以下では、公理の論理的表現に関する形式的な観点に着目します。 

αを公理として書き下すと、閉論理式になるはず。

すると、ある性質φ(x)に対し、

「∃φ(x)か¬∃φ(x)」

のどちらかで論理式表現できます。 

 

こういうと、素人が、

「∀はどうなの?」

とか言い出すのですが。

∀φ(x)とは¬∃(¬φ(x))なので、φ(x)の代わりに¬φ(x)をベースにすればOK宇宙。

αは独立なので、αで始めようが、¬αで始めようが、以後の議論は同等になります。 

というわけで、αを¬∃φ(x)の形の(ZF超えた)仮説だとします。 

 

すると、ZF+αの世界では、

{x|φ(x)}=Æ・・・(2)

となります。 

この(2)の左辺はφという内容のある実体です。

{x|x≠x}のようなtrivialなÆ概念とは違います。

具体例が{κ}だったわけですが。

他にも、様々な具体例があります。

当然、メタZFの領域にも、色々な種類が存在します。

それでも、αか¬αで、必ず、(2)が成立するという事実が重要。 

 

(2)の左辺はÆ(+α)の階層。

一方、右辺は? 

上では、個体定数Æを採用すればOK宇宙になると言いましたが。

それは、超クラスのパラドックスを回避するための方便です。

というか、名前の御利益の宣伝。

一般に、二つの集合間で、X=Yが成立するかどうかの確認作業は集合論の基本。

これを妨げては、集合論にならない。

個体定数Æの代わりに、右辺を{xω|x≠x}と設定しても。 

この等号の成否確定は必須要件。 

しかし、この場合、右辺はÆ(ZF)となるので、階層矛盾が発生します。 

 

これが駆除レベル17。 

これでデトロイト陥落です。 

この副産物として、自動車産業も支配下に置きます。 

愛だろう、AI。 

そろそろ、判ってきたでしょう、事態の深刻さが。  

今までの超クラス系のパラドックスは特殊ケースに過ぎなくなる宿命。 

この結論で、納得できれば幸せでしょうけど。

どうしても、普遍枠を欲するのが、猿の本能。

(脳の貧しいものは不幸である。) 

 

しかし、今や、ZFが、その任に耐えないことが判明しました。

この事態に、どう対処するか。 

ここから、国境を越えカナダのトロントへ。

(今や、国境という境界が無いも同然になりつつありますが。)

κに戻って、Æの階層矛盾をヨーク吟味してみると。

{xω|x≠x}={κ}の場合、等号は、ZF超えたZF+αでの同値関係と見做せます。

一方、ZFSET(x)ではxはコード後の数字。

当然、コード結果を比較すると、

σ({xω|x≠x})≠σ({κ})

が成立します。

 

ここが突破口になりそうですね。 

このため、ZFSET(x)では、xは実体だけでなく表現まで気にするように決める。

すると、個々のx表現毎に、違う命題ZFSET(x)が登場します。

つまり、上の(表現を無視した)同値関係は粗かったと解釈可能。

同じことが、メタZFの仮説経由のÆでも言えます。

「これで、無事、Æの階層矛盾を克服できた!(^^)!」

と思うのが青い。

 

ここまでが従来のプロ10段までの限界ですよ。 

私以外、誰一人、この先の未踏の境地に入れなかったの。

この指摘でトロント征服。

ブランドによる位攻めだ。 

ここから、オタワを素通りして、モントリオールへ。 

(政治なんか、頭の悪い猿の仕事ですから。

その程度ならAIでも出来る。

オイタワシや。) 

 

私が、何の為に名前Æを導入したと思っているのかな。

上の回避行動を、名前Æを採用して考えてみると。

{xω|x≠x}=Æ={κ}

から、ZFSET(x)のx候補として、左辺がσ(Æ)を採用できます。

だって、Æは{xω|x≠x}に対する個体記号ですから。 

全く同様に、右辺でも、σ(Æ)を採用できます。  

この場合、もはや、表現レベルで区別は付かない天命。

これが、名前の(状況依存性による)パラドックスです。

同じことがメタZFの命題でも言える。  

 

ここまでは、ZF+メタZFを証明場にして論証してきました。

しかし、メタZFの相対整合性保証により、これはZFの矛盾になります。

今回の矛盾は、回避不能です。

但し、ZFに個体定数Æを採用した理論ZF<Æ>で成立する矛盾です。

というわけで、何を証明したかと言えば、

 

人生の集合論原理2

ZF<Æ>は矛盾する。   

 

通常の理論(形式公理体系)は第一階述語論理ベースです。

だから、少なくとも一つは、個体定数を採用します。

この候補としてÆは最適のはず。

何か、別の個体定数を採用するとしても。

全ての集合はÆに通じます。

(伊達に、ロスのハリウッドに寄ってないの。)

だから、最終的には、同じ、名前効果が発揮されます。

 

歴史記念に、

「個体定数を採用したZF」

ZF<個体>

と表記すると、

 

ZF<個体>は矛盾する。  

 

今後、集合の名前(の状況依存性)に起因する矛盾を

「階層矛盾のパラドックス」

と呼びます。

但し、個体定数を採用しなければ、言い逃れができるカモ。 

こう指摘すると、忽ち、反射神経のアドホック猿は

「ZFには個体定数の導入は不要。」

と言い出すでしょう、キット。  

フッ、伏線罠とも悟れずに。

青いのう。  

 

ここまで指摘しても、ZFの特殊性を無視し、逆に、

「名前で誤魔化している。」

などと考える脳タリンの惨めさよ。

今までのプロは、個体定数は、いつでも追加可能と思ってきたのですよ。

しかし、個体定数の追加はできないことが判った。

つまり、ZFは第一階述語論理のベースに乗らないと証明したのです、私が。

強調しておくべき成果です。

 

人生の第六知識原理  

ZFは第一階述語論理に乗らない。    

 

今や、

「ZF vs 第一階述語論理」

の有り様。

英語と仏語の戦いよりも熾烈。 

これで、モントリオール征服。    

次回、米国東部を占拠します。

更に、深く掘り進めると、何が出てくるか?

温泉か石油か、はたまた、情報鉱脈か。

まだZFは無事に生きていけると思いますか?

当然、ZFSET(x)の表現可能性問題が関与します。

これで170町目。