2017年5月28日 (AIの日)

 

ここには前回の続きの訴訟関連記事を掲載していましたが。

勝訴的和解になったので、和解条件に従って削除しました。

以下、無関係の記事だけを残しておきます。

 

例えば、大衆が当てにするWikipediaくらいでも格の違いが判らない。 

SMやるAV女優は載せても、山口人生は削除する辞典。 

私の言ってる真理が間違っているという印象操作というか、世間に風説を広めた媒体です。 

述語論理の記事内容は間違っているし。

何の価値があるのかね。 

少なくとも、AI学習用の情報源としては不適で、邪魔。

そういう責任問題というか、責任感は皆無でしょう。

なにせ、編集者が猿だからね。

何を寄付依頼してるのやら、消滅解も掲載せずに。

これで、165町目。

 

ここから、ハイパー神商へ。

理論的な

「回転map法」

はfigureの把握法の一つに過ぎません。

figureの、何か、本質的な性質が、回転map翻訳法で欠如するカモ。

その候補が、前回論じた感性。 

感性を本質と捉えるかどうかです。

数学では排除してきた課題ですが。

どう思うかな?

 

少なくとも、数学的には回転map法は、数学の対象になります。 

これは理論上の話題ですが。  

実用的には、図表現が無ければ、話にならない。 

figureを回転させるのよ。 

先にfigureがあって、それから生成されるmap集合として数学化するの。 

「逆に、しかるべきmap集合から、figureは描けるか?」 

課題は、当然、

「しかるべき」

です。 

ここが

「figure vs 回転map」

の数学的攻防ライン。 

 

ここから、B‐embedに入ります。

すると、figureに対する新たな類別法が登場します。

それはね、

「figureから生成される各回転mapに対応するB‐embed結果全体の最小B(n)」

という概念。

これが同じfigureは、同程度の知識量だと見做せます。

この意味は、今や、明白でしょう。

B(n)のアトム{a1,・・・,an}ベースでfigureが表現可能になるということ。

これにて、私が知識表現の新しい地平を切り拓いたわけだ。

 

但し、理論的にではなく、実用的に、本質的な課題が残ります。 

具体的には、回転結果、上にくる凹点の対処法。 

この課題を処理するには、

「ダミー頂点を一つ追加する」  

手法で切り抜けます。

これで、全ての図が、B‐embed的把握の対象になります。

少なくとも、理論上は。 

 

ここから、figureのmap経由、B(n)類別法を計算量の課題に繋げます。  

以下のポイントは実用性。   

グラフというか、figureFの点や辺の数が多い場合でも。

最外辺に位置する点の数自体は、比較的少ないわけです。

これにより、初心者は、

「これらの最外点をmapの頂点に持ってくる。」

程度で済むと思うカモ。  

しかし、そう単純ではないのよ。 

 

同じ頂点に対しても、F構成の各点を結ぶ、辺の傾き問題が発生します。 

「辺を決める点の、どちらの方が、より下(順序)か?」

を決める必要があるの。

つまり、傾斜角度依存性。  

「『最外点を頂点にするように、クルクル回す』

程度で、全ての可能な傾きを実現できるはずがない。

ゆえに、この方式は実用的ではない。」

こう結論付けるAI職人が多いカモ。 

それが、青いと言ってるの。  

 

私は神ですよ。

未来に向け、人類が進歩し、社会が発展する方向性を示すのが役割。

で、現時点で、猿が一番気にしていることは何か?  

「AIが発達すると、人類の出番は無くなるのではないか?

もしくは、下働きしかできなくなるのでは?」

冗談抜きで、マジに、これが一番の論点。

社会全体で大騒ぎしている状況です。  

神は、この論争に対する最終解答を提示することができます。

 

「それは杞憂だ。」

当に、空が落ちてくるくらいの無駄な心配なのですよ。

(この場合の空とは、本来のソラのこと。

集合論では、Æが割れかかっています。)  

何故か? 

その理由を端的に物語るのが、B‐embedの役割。  

「全ての可能な傾き。」

なんぞを調べようとするのが、従来の普遍派の愚かさなの。

 

そうじゃなく、ここで、発想の逆転が必要。

figureFをプロが見て、

「この点を頂点に選び、この傾き具合なら、比較的小さなBにembedできそう。」

という感覚、というか、感触というか。

“figure感”です。 

碁や将棋と同様で、ある種のプロ感性。

それを養うのが肝要。 

 

この洞察を、数回試す。

この結果、得られるB(n)が、近似の意味で、実用的なAIの知識。

こういうことです。 

「なんだ、人が介入して、当たりを付けるのか。

だったら、価値がない。」

こう考えるのが、猿なのよ。 

当たりを付けても、実際、

「その有向グラフが、どのレベルのB(n)にembedできるか?」

は、NBEを適用するまでは判定不能です。 

 

多項式時間で実現できますが。

人知の限界を超えていますよ。 

試に、NBE適用せずに、自分でembed先のB(n)を決めてみなさい。

アトム数が20越えると、できないことが判ります。

この事実を教えるのも、B‐embedの価値。

だからこそ、AIの知識だと言ってる。 

そして、この感覚を探れるのが、B‐embedゲーム。

 

注意:

素人は、まず、アトム数6か7程度で試してみるの。

すると、少しはfigure感を養えるはず。

このレベルに習熟して、カジノに行って、金賭けます。

しかし、本気で真剣勝負しても、勝ち負けは運任せだと判ります。

途中の、参加者の打つ手次第の状況依存。

2人ゲームじゃないから、予想手が読めない。

これゆえに、カジノゲームになるのよ。   

 

理想世界に住む数猿の論点は、実用アルゴリズムの方ではなく。

Fと比較すると、

「数回の試行」

なんか、普遍の立場から見ると、意味が無いと思う方向。

それが、駄目なのよ。

最初の段階での、人の介入。

これが、一番、重要なポイントなの。 

 

Fが大きいと、AIでも、

「Fの全ての可能な傾斜候補」

なんか調査完了できません。

B(20)考えれば判るでしょう。 

それをですよ、プロの職人が、己の培ってきた経験を頼りに、

「この頂点で、この傾きなら、比較的小さなBにembedできそう。」

と回転させて、NBEの候補を選ぶわけだ。

それが、AIと人の共同作業。 

双方が、自分の得意な技を出し合って、結果を獲得する。

 

これが、人類の未来図です。 

人の仕事が無くなるはずがない。

今とは、違ったプロ職人が必要になるの。

AIの知識分野において。  

つまり、人の仕事の可能性は無限。

これを教えるのが神の仕事。 

歴史上、丁度、このタイミングで、私が登場した意味は、これです。

いつまでも、普遍思考に凝り固まっていては、21世紀からは生きていけませんよ。 

 

今回のハイパー神商のインパクトはディープですね。

これで、今までの、全てのAI社会論が無駄になりました。

私のB‐embedが最終解答を与えたの。

当に、アルマゲドン、というか、最後の審判。  

勿論、B‐embedは一例です。

代表見本役AI長。 

決して、悪魔に堕落しない天使。

これで、166町目。

 

ここからハイパー論理へ。 

予告通り、今回は米国南部を支配下に置きます。

進軍行路として、ラスベガスを通り、デンバーに上り。

南下してヒューストンを制圧して。

南岸沿いに進んで、フロリダ半島を占拠。

最後に、北部占領の前線基地としてアトランタまで傘下に収める作戦。

どうじゃ、ディープサウスよ、植民地化される気分は。

では、宙爆開始。 

 

まずは、ロスを出発して、ベガスまで。 

「排除したい超クラスとは、何か?

何であるべきか?」

超クラスのパラドックスの発生する対象ですね。

よって、究極は

「超クラスのパラドックスとは何か?」  

今までのは、一例に過ぎません。 

まだまだ、追加で新種が発生するカモ。

伊達にパラドックスと銘打っているわけじゃない。   

 

では、どうすればOK宇宙になるのか? 

なれないことを前回、論証したのですが。

これに対し、一つだけ逃げ道が残っているように思ったカモ。

問題は、Æのパラドックスの矛盾の原因です。

というか、矛盾の意味の理解依存性。

すでに、伏線でヒントを提示していますよ。

それが、「メタZF+α」。 

 

「メタZF+α」・・・(1)

部分だけで、すでに矛盾なら一安心でしょうが。

そんなこと、誰が保証するのよ。 

矛盾しなさそうな具体例までありますよ。  

ここで、巨大基数の伏線が効くという筋書き。

あれは、単なる物識り自慢じゃないの。  

というわけで、まずは、ベガスの占拠から。 

 

αを、例えば、可測基数の存在仮定とすると。

一番小さな可測基数までには、多くの到達不能基数が存在します。 

そこで、

κ={x|xは到達不能基数}

とすると。 

ZF+αで

「κはZF外」

が証明できます。 

つまり、ZF+α自体がκを扱うメタZFの候補。 

このケースでは、ZF+メタZF+α=ZF+αだということ。

 

では、ZF+αにおいて、κは集合か、プロパークラスか、判定不能か? 

ZF(+α)で基数全体はプロパークラスと証明済みです。  

よって、ZF+αで 

「κもプロパークラスになる。」・・・(2)

ことに何の違和感もない。   

ゆえに、ZF+αで、{κ}=Æ。 

これにより、

「可測基数の非存在が証明できた」

ことになるかどうかは、猿の宿題。 

 

これが、ベガスのホテル並みに派手な各巨大基数について言えます。

super compact や extendible、hugeなんてのがありますね。

ちなみに、super hugeの存在は矛盾することが証明済み。

徐々に、恐ろしくなってきたはず。  

これで、ベガスの占拠終了。 

占領地で、核心利益のカジノをすると。   

 

「元の(1)は矛盾するのか?」

フッ、同じ個所を、グルグルと回るだけか。

ルーレット並みに退屈。 

そもそも、(1)で既に矛盾だと、全てのκ候補で論証できるはずもない。 

しかも、巨大基数は、一例に過ぎません。

ZF超える、一般の性質φについて、上の論点は適用可能。 

この絶望を味わわせてから、より一般の課題に入ります。

その方が、すんなり受け入れ易いという神の慈悲です。  

 

「(1)が矛盾してなくても、Æのパラドックスは回避できるのでは?」

まだ、こういう浅い妄想に縋り付く猿も多いカモ。 

フッ、青いわ。

バカラじゃあるまいし、最後の札めくるまで判らないのかね。  

原理上、Æのパラドックスは回避不能なの。   

これを悟らすため、ロッキーを超えてデンバーまで。 

少し丁寧な、+αパートの解説です。 

 

そもそも、何故、メタZFとαに分けたのか?

この真意が把握できないわけだ、脳タリンには。 

これほど、猿脳のレベルがハッキリと判る具体例はない。

というわけで、基本中の基本から。 

「ZFとは何か?

何であるべきか?」 

通常の理論として見れば、

「集合{x|φ(x)}間に成立する=やの関係性を証明する場」

となります。 

 

ここでは、特に、等号関係=に注目しているわけですが。  

この観点から見れば、二つの空集合XとYがあって。

XがZF内集合と判明している場合。

「YがZF外の(ZF+α内)集合」・・・(3)

だとしても、 

「『X=Y』はZF+αで成立し、ZFで成立しない。」・・・(4)

ことが言えます。 

つまり、(4)そのものが(3)の意味だと解釈できますね。

 

「これで、何の違和感も、落ち度もない。

よって、Æのパラドックスは、空虚なこじ付けだ。」

こう思うでしょう、猿は。 

それが甘いと教えているのよ、神が。

この為の伏線罠が、

「ZFはYes領域に特化した特殊理論」

という強調。 

未だに、この真意が悟れないわけだ。

これで、デンバーの占拠完了。 

 

ここから南下して、ヒューストンへ進軍。

NASAよ、君らの探索宇宙は、理論宇宙と比べて、チャチイのよ。

今から、その事実を判らせてあげます。

ここからが知能色盲の信者に対する奇跡の発動。

物理や天文の近似猿にも判れば、完全な奇跡です。

 

ZF理論の、他の側面は何か?

それはね、数学の対象として、正式に認知できる

「集合の範囲」

を特定する理論だということ。

これにより、数学の厳密さを保証する土台になる資格ができます。

但し、独立問題が立ち塞がっているので。

どうしても、ZFからZF+αへと段階的に理論近似していくしかない。

強制法の面目躍如。

ここまではOK宇宙ですが。

 

ここの焦点は、そちらではなく。

かみまでも、集合の範囲問題。 

つまり、

「ZFで認知できる集合かどうか?」・・・(5)

を確定すること。

しかし、ZFだけでは、この作業はできない。

つまり、集合xに対し、(5)を主張する新命題

ZFSET(x)

を定義、構成するのがメタZF。  

 

ZFSET(x)は一番重要な必須命題ですよ。 

今まで、誰も、正式に扱ってないけど・・・。 

ここで、大事な論点を。

ZFSET(x)は、通常のメタ命題、例えば 

“ZFx=Æ

とは違います。

こちらは、

「ZFでx=Æが証明できる。」

という命題x=ÆのZF(依存)性。

 

一方、ZFSET(x)は、命題ではなく、集合x自身のZF性。 

具体的には

ZFSET({xω|x≠x})・・・(6)

のように使います。  

{xω|x≠x}はZFのYes領域に属する集合です。

x=Æのような、命題の領域ではないの。

ここがポイント。   

再度、相違を強調しておくと。 

 

ZFで証明するのは集合間を=やで結ぶ命題です。

しかし、同時に、ZFは、許容集合の範囲を保証する場でもある。 

すでに、

「ZFで許容される集合」

という概念が存在することは確定しています。

ZFのYes領域がこれ。 

だから、ZFSET(x)は正当で不可欠な概念を判定する表現です。

これで、真偽を論じる命題なのよ。  

その証明場をメタZFとしたのです。  

+αとの相違が判ったかな。

 

で、一番肝心なZFSET(x)の表現可能性ですが。 

猿には難しいでしょうが、神には簡単です。

命題のZF依存性というメタ命題を証明対象化したのはゲーデルの仕事。

よって、この局面では、

「ZFSET(x)は“ZF{x|x=x}”と同値」

を証明すればOK宇宙。

同値性の理由は明白なので、少し自分で考えるように。  

ここで、

“ZF{x|x=x}”

は、表現可能性が保証済み。   

ZFの整合性を保証するConsis(ZF)なんかと同類です。

 

これでZFSET(x)の表現可能性の証明は終了。

(具体的には、(6)はメタZFで真です。 )  

一旦、ZFSET(x)のように集合に焦点を当てると、発展形を探るのに便利です。 

次に、それを、No領域まで拡張した

「ZF内OBJE(x)」

という概念が得られ、それ以外の領域として、

「ZF外OBJE(x)」

が出現するという筋書き。 

こういうのも、メタZF領域の論考対象。

 

+αとは違う視点で、ZF集合論を見るの。 

半自動で生成されるゲーデルの世界観です。  

ちなみに、前回の命題

「{κ}はZF内か?」

は、ZFSET({κ})の方か、それともZF内OBJE({κ})の方か? 

どちらでもいいのですが。

Yes領域の集合限定で確実性を増したい場合は、ZFSET({κ})と思ってください。

見えたかな、暗黒物質が。

まだカモ。  

 

もう少し、精緻に分析しておくと。   

問題は、

{κ}=Æ={xω|x≠x}・・・(7)

という繋ぎ。 

ZFSET({xω|x≠x})はメタZFでYes。 

同様に、(ZF+α)SET({κ})がメタ(ZF+α)でYes。

では

ZFSET({κ})・・・(8)

はメタZFでYesかNoか? 

 

{κ}はZF外ですから。

(8)は、ZF外OBJEとしてκを含むメタZFではNoのはず。

そこまで強くないメタZFでは、(8)の真偽は不明。 

一方で、ZF+αで(7)が成立します。

ここで、+αがメタZFを含む場合。

ZF+αで、ZFSET({xω|x≠x})がYes。

ということは、ZF+αで、(7)経由の(8)がYes。

これで矛盾。  

以上が、従来の漠然脳ではタリン成果。

 

シン兵器だと、判ってきたかな。 

この奇跡で、ヒューストンを制覇。 

次に、フロリダまで進みます。

上では、+αがメタZFを含む

「強い仮説」

を仮定しましたが、そこまで強くなくて

「ZF+α+メタZFが無矛盾」

程度の弱い仮説でも矛盾は発生します。

確認しておくと。

 

ZF+α+メタZFで考えます。

まず、メタZFでは、ZFSET({xω|x≠x})はYes。

一方、ZF+αでは、(7)が成立。

よって、ZFSET({κ})=ZFSET({xω|x≠x}) 。

ゆえに、ZF+α+メタZFではZFSET({κ})もYes。 

一方、メタZFでは、ZFSET({κ})はNoか不明のはず。 

これで矛盾。

これが、前回の非単調性です。  

 

ここで、α自体が矛盾すればいいのですが。

そうはいかないでしょう。

αはZFと相対整合性を保つ程度の保証はしているはず。

α+メタZFをZFに相対整合的だと仮定すると、ZF自身の矛盾に繋がります。 

そして、α+メタZFの相対整合性に対する議論が、上の巨大基数の伏線。 

歴史記念に、これを

「人生の集合論パラドックス2」

と名付けます。

というわけで、

 

人生の第五知識原理

ZFには人生の集合論パラドックス2が発生する。   

 

「ZFは無矛盾」

と想定していた猿の責任問題。 

今まで、誰も、こういう正しく精緻な分析をしてなかった。

Δ理論やると、真理が見え始めるの。

私の論点の、何処かに、孔があるかな?

誰も議論してないけど。

使ったのは、メタZFの中心課題である、集合のZF内外性だけですよ。

しかも、これは必須の核心利益。 

 

何故、人生の集合論パラドックス1が公理的集合論の課題ではないと言ってきたか。

ここまで来て、やっと真意が判明するという筋書き。

少なくとも、今回の論点は残っているという指摘です。 

無視できないでしょう。 

数学が崩壊しかかっているのよ。 

古代ギリシャ以来の西洋文明の危機と言っても過言ではない。 

のんびりとゴルフなんか、やってる場合か。 

これにて、フロリダを征服。  

ここから、踵を返して、アトランタへ。 

 

今までの議論から、目先のパラドックス回避のため、

「到達不能基数は存在しても、集合の範囲だ。

ゆえに、κは集合になる。

これで、パラドックスは回避可能。」

とκを限定したくなるカモ。

そのアドホックさが甘いことを、一般のκ、つまり、φのケースで指摘しておいたのですが。

それよりも、興味深い論点が判明したのですよ。

 

ZF+αにおいて、 

「κは集合かプロパークラスか?」 

これが

「集合 vs プロパークラス」

の境界問題の真意。 

Æ化で超クラスのパラドックスが解決できると思うのが甘い。

新たな論点が登場するという筋書き。 

この風情や風説で、アトランタを制圧。 

というわけで、

 

知力検査46

ZF+可測基数の存在が無矛盾と仮定した時。

{x|xは到達不能基数}は集合かプロパークラスか?   ┤

 

これが、駆除レベル16。 

少なくとも、知力検査46を解決してから、出直すように。 

今回、私が証明した真理は

 

人生の第五知識原理系

1、(ZFから独立な)各巨大基数の存在を+αで仮定し、

2、ZF+αで{x|xは到達不能基数}をプロパークラスと仮定すると

ZFは矛盾。   ┤

 

いずれにせよ、従来のZFベース集合論は未熟なのよ。 

それが証拠に

「超クラスは排除する」

としか言ってない。   

まさに、

「Gone with the Window」 

の世界。

どうじゃ、ミカエルよ、小説とは格が違うだろう。 

言っておきますが、私は赤執事じゃありませんよ。

判ってるのかね、タラればマンコ。 

 

効くなあ、皮肉が。

ラッセルもショウも超えたぜ。 

未だに、私にノーベル文学賞を寄越さない北欧猿の惨めさときたら。

トロールの巣窟だ。

今の御時世、紙で出版したものだけが文献じゃないの。

ネットが主流の時代に突入しているということ。 

猿の目を覚まさせるために、こういうアルマゲドンができる私が神。 

神のビジネスがハイパー神商。

金額の問題だぜ、MSよ。 

これで167町目。