2017年4月28日 (Æの日)

 

ここには、私が関係した、某騒動に関する記事が掲載されていましたが。

訴訟になり、勝訴的和解に至ったので、和解条件にしたがって、関連部分を削除しました。

以下、無関係な部分だけ残しています。 

 

関西のデモンが結託して、神に一泡吹かせようという魂胆だったカモ。 

それが青い。  

私が見合いOKの返事をした当日、大阪万博の招致活動が閣議決定されたというニュースが。

フッ、偶然は面白い。

こちらは、因子エネルギーを発動。

万博は、オリンピック共々、アベノ負遺産になるでしょう。 

高度成長期の日本と、今では、状況が違うことが判ってない。 

大阪カジノの立地は未定だということ。

当然、私が口を出します。

だって、日本にカジノ解禁決めたのは実力者の私ですから。

神舐めると、こういう破目になる。

これで、162町目。  

 

ここから、ハイパー神商へ。

前回、figure(形式)という新用語を提示しました。

これは、オタクが好む、プラモデルやアニメの世界の概念とは違います。

AI分野、より広く言えば、計算機領域の専門用語にします。

ある種の曖昧さを残すので、数学用語とは違うということ。

今後、グラフより、figureの方が、より実用的だと判ってくるはず。

ライバル用語に、パターンがありますが。

figureは従来のパターン認識分野での、パターンとも違う。 

今回は、用語の解説を兼ねて、これらの相違に関する蘊蓄を。

 

まずは、グラフとの比較から入りましょうか。 

グラフは、点と辺の集合です。

どうしても、それを超える表現が必須というか、欲しくなる場面があります。

実際、すでに、パターン概念で、その需要は明らか。

AIの殆どの分野で、必要不可欠な表現法。

この程度は判りますね。

しかし、figureはパターンとも違います。

というか、より精緻で、パターンに対する新しいアプローチとも言える。

従来のパターン認識では果たせなかった新解析手法の提示。

この要求に、どう答えるかです。

 

これに、私は

「figure vs map」

と言うシン領域を開拓することで答えたの。

これで、あるレベルの表現を近似対象化することに成功しています。

この場合の“表現”の意味が深い。

この段階では、まだ、何を言ってるのか、意味不明カモ。

いつものように、知能色盲の知力限界ですね。

こういう職人猿に、御利益を判らせる必要があります。

よって、以下、より詳しく解説していきます。

 

初めに、パターンとfigureの相違から。

あるパターンが与えられたとします。

具体的には、指紋とか。

この場合、そのパターンは、どう回転させても、同じパターンと認識します。

これが、パターン概念の核心利益でもある。

同じと認識できないと、指紋照合なんかでは、役に立たないからです。 

これに対し、pictureを考えてください。

具体例が騙し絵。 

これ、上下を逆さまにすると、別の絵に見えるわけです。 

猿の哀しい習性。

 

実際に、そう見えるのだから、仕方ない。  

この感性が大事。

これを、どう把握するかです。

猿によって違う印象になるケースもあるでしょう。

この場合は、その場限りのアドホックな対処でOK宇宙。

しかし、全ての猿が同じ印象を抱くケースもある。

地球で暮らす、猿の宿命。

ならば、ある程度は理論化できるカモ。

実際、AIでは、感性を扱いたいわけだ。

さて、どうするか。

 

これに対する解答の一つは。

絵をfigureで把握して。

そのfigureに上下関係を導入し、map化する。 

この順序で、上下逆転figureは別の有向グラフになります。

これが、標準的な把握法です。

ホント、粗いのう。 

これで理論上は区別できます。

しかし、こんなもので、感性が把握できるはずもない。

ヨーク考えて御覧。

 

順序関係というのは、抽象的な関係です。

確かに、集合論的には、関係“<”と“>”は違う集合として把握できます。

けれども、<を>と逆順序に解釈すると、同じ集合になりますよ。

こういう解釈ができないと、話が先に進まない。

一方、元の絵の解釈では、上下を逆にしたら、別の印象。

この感性を、どう処理するかです。

これには、様々なアプローチがあるでしょう。 

その中の一つの候補が、B‐embed。

こういう伏線です。

 

上下、逆にすると、別mapですから、当然、B‐embed結果も違うはず。

これで区別できます。

しかし、このレベルでは、まだ、その他の把握手法とは対等ライバル。

B‐embedの斬新さ、有利さが悟れないの。

というわけで、更に、深く、分析していきます。

ここからが、B‐embedの革新利益です。

 

figureによっては、上下逆さにして、別map化しても、同じBにembedされることがありますね。

「この場合の印象は、同じ絵と把握できるのか?」

まず、この懐疑が生じます。

多分、無理でしょう。

となると、B‐embedで把握している概念は、上の意味での、感性把握とは本質的に違うということ。

その正体は何か?

ここで、緻密に考えます。

 

上では、上下逆さにしました。

そこまでせずに、同じfigureを、少し回転させます。

ほんの少しの回転程度なら、元の絵と同じ絵だと判定できますね。

しかし、ある程度、回転させると、同じ絵だと判らなくなる可能性が。

テレビの脳トレゲーム番組なんかで、猿を集めて、よくやってます。 

では、どのくらいの回転具合から、同じだと判別できなくなるか? 

粗い解答は、

「少なくとも、一つの辺の順序が逆になる。」

程度。 

この結果として、別mapが生成されます。 

つまり、有向グラフとして、別になります。 

 

よって、あるレベルの判定基準になるわけですが。  

「有向グラフとして、別になれば、必ず、別の印象絵になるか?」

そう単純じゃないでしょう。  

ここからが勝負です。

別mapになっても、まだ、元と同じ絵だと判るケースも多い。

ことほど左様に、感性の把握は曖昧で難しいわけですが。 

これに対し、 

「B‐embedが感性把握の一助になる。」

などと言い出すと、それは自殺行為。  

 

感性から入ったのは、あくまでも、罠。 

そんな柔な話をしてるんじゃないのよ。 

B‐embedが扱うのは、感性ではなく、かみまでも、理性の方。 

本来、figureには、その奥に潜む、何かがあるの。

これは、パターンのように、回転させても不変の性質ではなく。

感性的に、漠然とした、何かがある。

しかし、感性にも従わない何かもあるの。

それは何か? 

これこそが、回転map経由のB‐embedなんですよ。

 

個々の別figureの分類だけではなく。

同じfigureに対し、別map経由での分類までできる。

その類別基準のことです。

この基準が理性的な意味、理由が判りますね。

しかし、これは、新種の感性の生起と言えなくもない。

従来の漠然猿には把握できなかった、AI向けの感性。

この観点については、次回に。

 

ここから、mapという用語の背景について。

上下で順序を導入したわけですが。

それだけがmap用語の所以じゃないの。

地図とは、本来、3次元の対象を2次元化したもの。

この視点から考えれば、mapは3次元の対象表現です。

同様に、figureも、2次元だけではなく、3次元の対象まで扱える概念です。

2次元レベルの絵とは、対象範囲が違うということ。

3次元のfigureから、3次元の立体mapが生成されますが

それをB‐embedできるのか?

できますよ。

 

今までは、ブール代数のfigure表現は2次元でやってましたが。

B(n)は簡単に3次元化できます。

2次元mapを地球儀に貼り付けた感じ。

計算機では、3次元のCGが普通になっていますから。

今後、B(n)は3次元表現の方がシックリくるカモ。 

地球儀のように、クルクル回転させたりして。

マ、宇宙mapなんですが・・・。 

 

ちなみに、グラフでは、

「2次元 vs 3次元」

の差は表現できません。

有向グラフでも、無理。 

但し、グラフの辺に長さを導入すると。

数学的には、2次元も3次元も区別しないのですが。

3次元と2次元では、見た目の表現に差が出ます。

どういう意味かと言うと。 

 

3次元で長さを計測して、それを2次元平面に射影すると。

「見た目 vs 計測長」

が逆転する場合がありますよ。

これが感性の介入。 

それに対し、B‐embedは理性。

この理性の深さが判らないとね。

一体、何を類別してるのかです。 

それがAIの知識。 

今回は、B‐embedが、従来のパターン認識を超えた類別法だと判らせるのが目的でした。

これで、163町目。 

 

ここからハイパー論理へ。

今回は、愈々、シアトル・ロサンゼルス線を越えます。 

ゴジラじゃなく、ゴッドの上陸よ。

これが第四知識戦。

まずは、手薄な、カナダのバンクーバーから入ります。

シアトル海岸に防御壁築いて待ってた猿は、ご苦労さん。

甘いのよ。  

以下、判り易さのため、ZF基準で考えていきますが。

一般の公理的集合論でも成立することを忘れないように。

では、戦闘開始。

 

「ZFとは何か?

何であるべきか?」

これの解答が人生の第三知識原理。

この価値が判らない猿が多い風情。

ZFにおける、一番大事な論点ですよ。

この事実を悟るためには、プロパークラスの排除思想

「VはZFの対象ではない。」

の意味をキチンと理解する必要があります。

これができてない猿が多すぎる。

だからこそ、超クラスのパラドックスが発生するの。 

 

ここで改めて問います。  

「集合とプロパークラスを区別する規則は?」   

忘れないように。

プロパークラスを集合と区別したのは、

「集合と仮定すると矛盾する」・・・(1)

からです。

(1)が先で、基本というか、基準なの。

ならば、集合と仮定して矛盾すれば、超クラスもクラスか?

どうですか、事の重大さが把握できてきたかな。 

ここで基本に回帰します。

 

公理的集合論では、(1)により、プロパークラスを排除するの。  

この結果、超クラスについては、思考停止。 

この思考停止をするという点を強調したのが、人生の第三知識原理です。

「デモ、{κ}=Æで、上手く処理できているじゃないか。

思考停止してない。」

こう考えるのが青いの。

以下、その理由を開陳します。

現時点では、感じだけで、まだ何も理解できてないはず。

こうやって、不動産並みに、真理の価格をつり上げておいて。

ここから、国境越えて、シアトルに進軍開始します。 

 

集合論のオブジェクトを不完全性定理に基づき、3種に分けました。

この類別法が秀逸なの。 

ZFでも、プロパークラスVは登場します。

ならば、

「VはZFの対象ではない」

とは、どういう意味か?

これは、

「Vは3種類別法のNoに属し、Yesに属さない。」

という意味です。

ここまではOK宇宙。

 

一方、

「ZFが集合に関する理論」

とは、Yes領域に焦点を当てるということ。 

No領域は登場しますよ。

しかし、それは集合ではないという意味で対象外。

これが

「(集合領域からの)排除」

です。 

勿論、Yes・No以外の領域も残ります。

これは理論の対象外。

しかし、Noでの対象外とは意味が違う。  

 

この二つの対象外概念をキチンと区別するため、Noの意味での対象外を

「排除」

と呼ぶことにします。

創始者特権の専門用語です。 

やっと判ったかな、排除の論理が。 

集合論の対象外は2重構造になっているということ。  

この世界観から見た時の超クラスは?

プロパークラスがNoの意味で排除されてますね。

だから、自動的に排除されます。 

 

排除レベルの意識すら抱く必要がないということ。

存在無視するのです。  

だって、プロパークラス抜きで、超クラスは存在できませんから。 

この観点から、以後、公理的集合論における超クラスの扱いを、

「無視する」

と呼ぶことにします。  

今まで、誰も意識できなかった新用語。

無意識に光を当てたわけだ。 

 

何故、無視していいのか?

公理的集合論は、Yesの領域だけ気にする理論だということ。 

但し、プロパークラスは排除しても、無視できません。

No領域の主役ですから。 

こういう御都合主義で理論展開しているのが公理的集合論。

これで、 第三知識原理の意味と価値が把握できたでしょう。

精緻で正しい原理なのよ。  

大事な真理なので強調しておきます。

 

人生の第三知識原理系

公理的集合論は、No領域を排除し(超クラスを無視し)た特殊理論。     

 

ここまでが、従来の集合論研究者達の知力限界。

脳の計測装置の精度が粗いから、排除するしか、手の打ちようがない。 

これで、シアトルの占拠完了。   

猿には、何故、これで占拠したことになるのかすら判らないカモ。

だから、今までのままの気分で、気軽に騒動を起こす。

すると、鎮圧軍が制圧することになります。

結果、死者も出るわな。

 

公理的集合論は、通常の理論とはNo排除で違うことを論証したのよ。 

Yes限定理論。 

これが、数学の土台になると考えたのは幻。

大成果です。

結果論として強調しておきます。

 

人生の集合論原理

(今の)公理的集合論は数学の土台理論にはなれない。   

 

この集合論原理を受け入れることができない猿も多いはず。

だって、数学の死活問題になりますから。

今から、この解説をしていきます。

神の更なる実力を見せつけると、降伏するカモ。

第二次世界大戦でも、原爆落とすと、終戦になったし。

こちらも、いつまでも、1都市レベルに拘っているわけにはいかない。 

前回の第三知識原理で、私が自己満足で自滅したと思った猿よ。

だから、戦争に負けるのよ。 

というわけで、今から南下を開始。 

次の目標地点は、シリコンバレー。 

 

超クラスはÆになる可能性が残っています。

集合論において、集合変数xを使った性質

「x=V」

は成立しませんから。

このレベルで、重要な論点が残ります。  

「下手すると、超クラス{V}=Æカモ。

だったら、Yes領域に入る可能性がある。

無視できないだろう。」  

この課題が生起するから、事態は厄介で、複雑になっていきます。

 

超クラスは通常の集合とは、明らかに違う存在。

だって、必ずプロパークラスを経由しますから。

この意味で、超クラスは特殊なの。

専門用語としての無視の意味が判ったかな。  

では、超クラスは、どう処理すれば良いのか?  

集合論が矛盾しない為には、超クラスに対する適切な処理が必須。

しかし、超クラスの処理は枠内公理化できてない。  

ここまで来ても、何を言ってるのか理解できない猿。

連中には、永遠に無理。 

 

しかし、私は救世主です。

奇跡を起こして、知能色盲の信者だけに見えるようにできます。

というわけで、今から、奇跡を起こします。 

集合論のオブジェクトを集合かどうかで、

「Yes vs No vs その他」

と3分割しました。

以下、これを

「Yes+No vs その他」

と2分割で考えます。

 

すでに、その他の領域を“(理論)対象外”と呼んでおきました。

それに対比する概念として、Yes+Noを“対象内”と呼ぶことにします。

要は、集合か否か、ZFで決まる領域ということです。 

同様に、ZF+αに対しても、対象内と対象外が決まります。 

ここでの興味は、ZF+αの対象内で、ZFの対象外になるオブジェクト。

こういうオブジェクトが存在することは、ゲーデルの不完全性定理で保証されます。

このオブジェクトの一つをκとします。

そして、ZF+αで、κがプロパークラスだと証明できるとします。  

 

さーて、御立ち会い。

ここで{κ}を考えてください。 

このオブジェクトは、ZFの対象外のはず。  

ところが、 メタルールで

「任意のプロパークラスφに対し、{φ}=Æ」・・・(2)

と決めると。 

{κ}=Æの{κ}はZF外ですが。

Æは、ZF外か、ZF内か?

 

Æ={xω|x≠x}・・・(3)

を採用すると、このÆは、ホクト、ZF内ですよ。

これでパラドックス。 

このパラドックスの意味は?

{κ}=Æが成立すると判るのはZF外のZF+α。

ここまでは辻褄が合ってますが。

「何故、Æを介して、{κ}と(3)が一致するのか?」

この懐疑が、パラドックスの価値です。

 

(3)はZFのYes要素ですよ。

一方、{κ}はZF外要素。

集合をZF内外で分離すると、両者は内外の別カテゴリーに属します。

一致するはずがない。 

ポイントは等号“=”の意味ですね。

両者が等しいとは、ZF+αで1種類のÆとしてゴチャ混ぜにするということ。

しかし、ZF内外差のセマンティクスは消えません。 

これは、非常に拙い事態だと判っていますか? 

本格的な矛盾なのですよ。

何故か? 

その理由が判らなかったわけだ、従来の研究者達には。

 

いいですか、(3)と{κ}はZF内外と判っています。

ここで、ZFの内外を判定する理論として

「メタZF」

を考えると。

ZF+メタZFにおいて、

(3)≠{κ}・・・(4)

が証明できるの。

ここの機微というか微妙さが核心利益。

従来は、{κ}はZF外だから、ZFで(4)は証明不能とされました。

しかし、ZF外でも、ZF+メタZFで(4)が言えるの。

 

ところが、ZF+αで、両者Æということで、(3)={κ}としてしまった。

ということは、ZF+メタZF+αで(3)={κ}。 

これにて、NoからYesへの非単調性の発現。

以後、このパラドックスを

Æのパラドックス」

と名付けます。

というわけで、結論は

 

人生の第四知識原理

「超クラス=Æ」で処理すると、Æのパラドックスが発生する。  

 

つまり、超クラスの処理に、無邪気に、(2)を採用しては駄目なの。

これが人生の集合論原理の背景。

その真意を探っていくと。

(2)を採用すると、超クラスのパラドックスが発生します。

さらには、Æのパラドックスも生起。

超クラスとÆの関係性を探求したりするのがΔ理論。

Δ理論やってると、こういう思考が出来るわけだ。

このベンチャー精神で、シリコンバレーを席巻。  

何故、Δ理論やってきたか、深謀遠慮が悟れたかな。 

 

ZFでYes領域とNo領域が決まりますが。

Yes外領域はMSやアップルやグーグルのOS並みに、穴だらけ。

バグも多いし、敵も侵入し易い。

この穴やバグは、相対整合性を経由して、Yes領域に干渉してくる。

これが公理的集合論です。   

じゃ、どう対処すればいいのか?

実は、対処不能なのですよ。

それが判らないわけだ、猿には。

ここから、更に、南下して、ロスに。

ここも支配地に収めます。

ハリウッドがあるからね。 

鼠がチョロチョロと目障りなディズニーランドもあるし。

 

通常の理論では、決定問題をYes・No・その他に分けても。

No領域は排除しません。

Noの否定はYesに反転するからです。

ところが、ZFの場合、No領域は排除するの。

Yes領域だけに注目したというか、限定した理論です。  

この意味で、ZFは特殊な理論なのですよ。

普通の数学理論とは違うの。   

従来の集合論のパラドックスの余韻が公理的集合論にも残るということ。

 

Yes領域限定には理由があって。

Noの否定

「¬(集合ではない)」

はYes領域である

「集合」

になる保証がないの。 

この場合の2重否定の機微がポイント。   

こう言えば、判り易いカモ。 

 

クラスVに対し。

集合Sの補集合はプロパークラス。

一方、プロパークラスCの補集合は集合になる保証はありません。

これじゃ拙いので、Vを集合Aで制限するのが分出公理や置換公理。

これで、集合の補集合も集合に収まるというアドホックな対処法。

しかし、全体集合Aへの制限で誤魔化せる話じゃないの。 

つまり、従来の超クラスの処理方式は名詞の定義並みなのよ。 

だから、細部に曖昧性が残っている。

これが真理。

 

アアそれなのに、それなのに♪

知能色盲の猿には、制限思想が身に染み込んでいる。 

それで、何とかなると思い込んでいるの。

その証拠が、

「補集合」

という用語に凝縮されています。

鳥猿の見本だな。 

本来は

「Vとの差」

です。

 

しかし、狭義数学の土台になる立場という重圧から。

ZFは、どうしても、全体集合Aへの制限という画策をするしかなかった。 

「否定 vs 排除」

の課題とも言える。 

けれども、こんなアドホックな処理法で回避できるパラドックスじゃない。

実際、巨大基数が登場しているし。

Æの本質問題でもある。

そして、全ての集合はÆに通じる。

これが駆除レベル15。 

 

これにて、ロスを占拠完了。    

さても南京、玉すだれ(^^♪。 

どうじゃ、カリフォルニア猿。 

植民地化された気分は。

私は、日本軍みたいな愚かな真似はしません。

悪魔以外の猿を駆除するよりは、財宝を狙う。 

さっさと、金払え、MS。 

シリコンバレーも、B‐embed無視するんじゃないぞ。  

 

西海岸を占拠したので。

ここから、内陸に向かって進軍開始。  

次回は、米国南部を植民地にします。 

ハリウッド映画じゃ、宇宙人に勝てても。

神には勝てないぞ。

これで164町目。