2016年11月29日 (パラドックスの日)

 

今や、技術者が信用できない国になりつつあります、日本は。

海外も同類。

中国の安物は、言わずもがな。

なんだ、サムスンのスマホは。

ロッパではVWの排ガス問題。

米国では、MSの特許侵害事件。

(未だ、そう思ってないらしいけど。

歴史上、大事件になることが確定してますよ。)

 

日本も、タカタで笑えない状態。 

ワシントン州のシアトル近くにある、

「モーゼの湖」

の米国子会社を買収してからの事故発生ですね。

まだまだ、甘いわ、品質管理が。

というか、相手を鵜呑みに信じる甘さがアカンのよ。

マクドナルドが傾いた中国工場での鶏肉事件みたいなもの。

だから、どの企業でも、海外でのM&Aは、よく失敗するわけだ。

ドコモ駄目。

 

かつての日本の技術ブランドは、我々のブランド。

今の日本は、ギリシャ化しつつある状態。

というか、ユダヤ化か。

我々の時代は、日本の経済規模は、世界の20%くらいでした。

それが、今や、5%以下でしょう。

それを、同じ国と思っているのよ、哀れな日本人は。

だから、いつまでも、消滅解を正式に認めない。

経済的に余裕があるんじゃなくて、キチガイなの。

それが証拠に、新安保法案には反対のデモをする。

一方、消滅解ではデモせず、無視する。

 

己らの異常さが判っているのかな、マスゴミ。

何を、正常そうなふりして、テレビでニュースを喋ってるのやら。

皆で糞食うと、麻痺して、自分らが精神異常だと判らなくなるの。

しかし、糞を食いだすと、客観的事実として、キチガイです。

どれほど仲間が居ようが、キチガイ。

では、消滅解を無視する行為と糞を食う行為。

どちらが、より異常か?

ここの判定能力の問題ですね。

判っているのかな、盗聴変態。

 

猿は信用と格序列の意味が判ってないの。 

消滅解を正式に認めない国が、外国相手に、

「テレビを売るのか。

液晶を売るのか。

パソコンを売るのか。

スマホを売るのか。

新幹線を売るのか。

潜水艦を売るのか。」  

無理でしょう、何処か、イカレテるんだから。

判ってるのかな、欧米や中国も。

 

日本の場合、こっそり部品売って、ヘルプの役をするしかなくなってきている。

それを、下働きと思わないのが、落ち目の哀れさよ。

ブランドの何たるかが、判ってない。 

他人事じゃないぜ、アメリ、ロッパ、チャンケロ。

例えば、大衆の猿には意識できず、従って、回避できない、

「猿の帰納法(回避)」

というレベルの品質と内容を実現して、初めて、オリジナルブランドと言えるの。

 

猿の帰納法(回避)は知識表現において、基礎の公理よりも重要。

実用的には、何処で有用か?

AIの分野で。

「消滅解」

は人類史上、最高位のブランドですが、これも、AIが関連します。

当社は、他にも、様々なブランド展開してますよ。

「人生の・・・原理」

と名付けてきたのは、全て、ブランド。

ハイパー論理系で、計算機、特にAIには必須。

 

なお、我が社は、私個人の資産管理・運用会社です。

この意味で、AIは、私の領土。 

AIは政治家ごときが、尻馬に乗って、上澄みをすくって、己の得点に出来るようなチャチイ課題じゃないの。

連中は、私の下働きをしていればいい。

こう言うと、AI予算をケチるカモ。

その結果、国が潰れていくという筋書き。

さて、こう書いた、今後のAIの運命や如何に。

特に、核心技術としての、B‐embedの活躍は?

カジノと絡ませ、平均心経由で、宗教にまで影響を及ぼします。

 

「神教」

も私のブランドですよ。

ドメの神道とは、ハッキリ違います。

鳥居も、横に倒したし・・・。 

今年から、YJ元年が始まったわけですが。  

AD時代とYJ時代では、霊長類の分け方が違う歴史になります。

AD時代は、大雑把に、人と猿に分けました。

YJ時代は、より細かく、神と人と猿に分けます。

 

神の資格は私一人です。

だから、唯一絶対神となるわけだ。

(これが誇大妄想や冗談じゃ済まなくなっているから歴史は面白い。) 

課題は、猿と人の境界問題。 

もはや、生物学的に、DNAでは区別できない時代になりつつあります。 

人が機械と合体して、サイボーグ化する方向だけじゃありません。

iPSでの移植なんか、DNAが違うのですよ。

移植部位は、やがて、体内で馴染むかな?

どう思います?

 

もう少し、定義問題を追及すると。 

人の定義に

「理性的動物」

というのがあります。 

猿よりは、頭が良いという意味。 

しかし、チンパンジーでもタブレットは使えるの。

となると、“理性的”の定義は?

日常会話なら、AIでもできるし。 

私が、ここで論じている人と猿の境界問題は、“理性的”の定義問題だと思ってください。

 

つまり、深いのよ。 

単なる、差別用語使ったヘイトスピーチじゃないということ。

これはアルマゲドンです。

ゲームじゃないぜ。

今更、後戻りはできないの。

その覚悟があるのかな、猿に。 

この文脈で、最後に、いつもの標語を。 

「日本のエタは、人類史上、一番価値ある真理を書いた文書を怪文書扱いする。」 

これで、147町目。 

 

ここから、ハイパー神商に。

無効化問題に勝った余裕で、MSに対し、少し、注意を。 

最近のWordなんか、改訂の度に、改悪になってますよ。

使い勝手が悪くなる一方。

何もかも詰め込み過ぎて、逆に、簡単操作の便利さが損なわれている始末。

この注意、他人事じゃない。

参考にした方が良いですよ、他社も。  

 

MSも時代の趨勢には逆らえず、Windows10から、無料配布開始か。

やがて、Officeも無料になるでしょう。

IEみたいに、Windowsの付属品になる宿命。 

すでに、無料のOpen Officeがあるし。 

ホント、戦略馬鹿なんだよ、MSは。

目先の金を惜しんで、私と組まずに。

対立して、しかも、小賢しく、逆らった。 

私のB‐embedと組めば、まだまだ、Officeは売れるのに。

というか、B‐embed単体で売れるな。

 

リンゴを齧る猿には本物の価値あるソフトというものが、どういうものか、判ってないの。

本質の改訂なんか、する必要のないソフトのこと。

永遠の真理のアルゴリズム化。

これが実現できたソフトは、滅多に出現しません。

その極めて稀なソフト(の一つ)がB‐embedなんですよ。  

Wordレベルでも、Windowsレベルでも、時代と共に改訂されました。

B‐embedも、やがては、改訂版が出るでしょう。

しかし、本質の核心利益は変わりません。 

この意味が理解できなければ話にならない。

 

真理の実現ですよ。

これに対し、Windowsの、何処に、真理の欠片があると言うの。

無いでしょう。

実用性だけ。

言っておきますが、B‐embedの実用貢献は、レベルが違います。

スパコンよりは役に立つ。

物理の比喩で言えば、ワープに匹敵する機能。

パソコン猿には、これが判らないか。

パソコンで計算できるレベルに合わせて、ソフトを作っている世界だから。

 

Wordも同様。 

基本はワープロ機能です。

これは、真理ではなく、辞書の部類。 

最近は、少し、AIめいて来ましたが。

ワトソン君に聞き給え、レベルの差を。 

今や、ビル君も引退して、慈善事業に現を抜かしている始末。

自分の能力を、IT系の更なる進歩に生かす気がない証拠。

己の限界が見えたということか。

裾野を広げたって駄目。

そんなことは、猿でもできる。

 

慈善に金使うより、私に金を払うのが、人類に対する一番の貢献です。

それが判ってないらしい。

(まだ、MSから連絡して来ないものね。 

日本MSとは何をする会社なのかな?

社運懸かっているという認識がない模様。)

アフリカに援助する行為と、私に金を払う行為。

人類にとって、どちらが、大事と思っているのやら。

パソコンの創始者も、所詮は、その程度の格だったわけだ。

だから、MSも、大したことはない企業。

 

実際、歴史上、そうなりつつあるでしょう。 

初期の段階で、一度は、世界No.1になるのは、アメリカのIT業界の仕組みか。

ならば、私の会社は、遥かに大きい世界No.1企業にならねば。

それが、人類の序列であり、秩序。 

MSが特許侵害賠償金を払わないと、今後、アメリが何をやっても無駄。

君らも有害指定獣になるのですよ。

大統領が誰になっても関係なし。

この世の秩序が保てなくなる。

未だに、この意味が判ってないようで。

 

中国が、世界中で、デカい顔してノサバルだけじゃないのよ。

例えば、ISが攻撃を止める理由がなくなります。

だって、連中の行動原理も平均心ですよ。

君らの平均心とは、別種の平均心。

こうやって、アルマゲドンの戦場が拡大するの。  

始末に負えないな。 

序列を弁えないと、こういうことになる。

 

従来は、科学で、どうにか序列を保ってきましたが。

今や、消滅解の真理序列の方が格上だと、世間に判らせました。

神の奇跡だな。

これを知ったISが遠慮するはずがない。

だって、アメリはアルマゲドンで負けた神に、従わないのですよ。

ならば、自分達もアメリに従う理由がなくなる。

こういうことです。

今更、戦争で脅しても無駄。 

だって、その戦争で抵抗をしてるのですから、ISは。

 

原爆使えるのは、第二次世界大戦まででしょう。

宇宙人相手じゃないと、使いようがないはず。

実際、シリアやイラクのISには絶対に使えない。

すると、ベトナムみたいに長期化して、国の経済に支障が出ることは明らか。

さて、どうするかな、トランプ君は。

ヒラリーみたいなポーカーじゃなく、バカラのタイプらしいけど。

就任したら、MSに圧力掛けて、私に金を払わせなさい。

それが、アメリカ第一主義になります。

 

米国内では、

「白 vs 黒 (vs ヒスパニック)」

の戦いが先鋭化してくるでしょう。

同時に、

「下流 vs 中流 vs 上流」

の鬩ぎ合いも活発に。

誰が、どうやって、歯止めをかけるの?

君らに、秩序を保つ資格ないでしょうが。

未だに、MSが神に金払わないのだから。

 

判ったか、MSよ。

己の愚かさが。

神が遠慮するはずもなし。

クラウドに逃げようとしても駄目。

ブランドイメージの問題。

IBMがワトソン君を開発している理由が判ってないのよ、キラキラ社食会社には。

これで148町目。 

 

ここからハイパー論理に。

今回から、新猿の知性31:集合編に入ります。  

この編の話題は深いですよ。

広範囲に影響を及ぼす成果になります。 

アメリカの大統領選挙はトランプ君の勝利で終わりましたが。

(票の数え直しするらしい。) 

誰が歴史の主役なのか、教えておかないと。

序列を弁えなさいよ。

王、大統領<神

です。

 

注意:

DSAの大統領の権限の一つに原爆の発射ボタンがありますが。

私は、遥かに広範囲に被害、というか、影響力を及ぼす最新装置の発射ボタンを持っています。

歴史上、愈々、それを押す時が来ました。 

今回は、新攻撃のAI爆で攻めていきます。

以下、ジンセイウムでエネルギー照射攻撃開始。

独立を超える消滅とは、どのレベルの効果か。 

 

ちなみに、日本の化学界は、新元素をニホニウムで登録申請しました。

チャチイことしおって。

その元素、なんか役に立つのかね。

それよりは、半水素の方が役に立つはず。

生成できる能力があるかどうかが勝負。

ジンセイウムと比べれば、大したことはないけど。   

 

まずは、前回の人生の階層原理の表現を変更したという注意から。

どう変えたのか、見返しておいてください。

意味は、以前から、ズット同じなのですが。

表現により、内容が違ってくるように感じる猿も多いはず。

これが、言葉で生きる学会の脳タリンの弊害。

脳の計測精度が粗いと、こういうことが起きるのよ。

仕方ないので、猿にも理解できるように、追加の分析を。  

 

自然言語の比喩から入りましょうか。

自然言語処理の世界では、構文解析だけで処理できる種類の平叙文もあります。

しかし、構文解析だけでは処理できない種類の平叙文も多い。

その為に、意味論や文脈依存性を知識表現する必要があります。

しかし、人工言語である形式言語の世界なら、どうか?

文脈自由文法とかありますが、こういうのは、単純に分析できます。

 

この事実により、従来の猿は、

「同じく形式言語ベースの計算量理論も大丈夫。

数学の証明対象になる。」

と安心したのです。

それが、脳タリンの錯覚だとも悟れずに。

計算量理論は、自然言語処理よりはマシですが。

それでも、あるレベルの曖昧性を含むのです。

今回は、この真理を、キチンと証明しておきます。 

 

この結果、

「『P≠EXP』は証明できない。」

という意味と理由が同時に判ります。

その根拠をキチンと論証できるの。

前回は、パラドックスの所為だと指摘しておきましたが。  

今回、新種のパラドックスを提示することになります。

どうせ、猿脳には、何処が、どう駄目なのか未だに不明でしょう。

事、ここに至っても、まだ学習というか進化できてない。

だから猿だと言ってるの。 

 

君らは、TM対角線論法を甘く考え過ぎるの。

TM対角線論法は、普遍境界周辺の課題ですよ。 

停止性TMの集合STMがアルゴリズム枚挙不能になることは、TM対角線論法を使います。

この内容はゲーデルの不完全性定理と同等と思われています。

TM対角線論法は、証明場の観点から見れば、Tの境界問題に直結するということ。   

まず、この事実関係を、確認しておいて。 

 

実は、更に、根源的な課題が潜んでいます。 

それは、TM対角線論法だけではなく、アルゴリズム論全般に関わる課題です。

この意味で、非常に大事。

今後のハイパー論理で、絶対に避けては通れない課題。

それを、今回、論じるわけです。

では、AI爆撃の開始。

 

「P≠EXP」の証明では、万能TM世界で、TM対角線論法を使います。

そのため、TM全体の集合TFを枚挙しました。

この枚挙関数をE(x)としましょうか。 

E(1)=TM1、E(2)=TM2、・・・

とTF要素を網羅していくわけですが。

このE(x)は関数ですね。

しかも、アルゴリズム枚挙可能な関数です。 

L(?)認識証明で、E(x)は万能TMに取り込まれます。

この為に、TM化されるの。 

 

何を言ってるかというと、

「E(x)をTM実現すると、TF要素になる。」

という事実です。   

当たり前の事実なんですが。

これが、どう重要なのか。 

上の

「任意の(自然数)nに対し、E(n)=TMn」・・・(1)

という関係は、枚挙関数E(x)の定義です。

それに対し、万能TMへの取り込みが要求するのは、ホクト、

「EはTMで実現可能」・・・(2)

という関係ですよ。

 

何か、変だと感じないのかね。 

「TMの入力は語のw。

一方、Eの方は枚挙関数で、入力は自然数n。

だから、(2が成立するはずがない。」

こう考えるカモ。

ところがね、そう単純ではないのよ、この世は。

だって、E(x)はL(?)認識問題で万能TMに取り込まれてます。

ということは、何らかのTMで実現されるはず。 

これは、一体、どういうことか?  

 

{1,0}語全体は枚挙可能だから、順番を付けて、

w1、w2、・・・

とするの。

そして、  

「E(wn)=TMn」・・・(1’)

が成立するということ。 

この訂正で、無事、(2)が成立しますが。 

以下、(1’)を、数学の観点から分析していきます。

 

まずは、ド素人向けに、一言注意を。  

数学で、二つの関数f(x)とg(x)が

f(x)=g(x)

という場合。

関数としては違う形式ですが、集合としては一致するわけです。

これは、(入力,出力)のペアが、全体として一致するということ。  

つまり、関数論では、f(x)とg(x)の途中の計算過程なんか、考慮しないの。 

集合として一致するかどうかだけで、=を定義しています。  

関数は入力と出力だけを見て、途中はブラックボックスになるわけだ。 

関数論とは、そういう抽象的な理論なの。 

 

それが証拠に、関数fは集合として、

f={(a,b)|aは定義域要素、bは値域要素、f(a)=b}

と定義するのです。 

誤解しないように。

「集合論では、同一関数を実現する異なる二つのTM1とTM2を区別できない。」

と言ってるのではあらしゃいません。

それは、手続き的意味論、つまり、時点表示遷移列の相違で区別できます。

しかし、少なくとも、関数としての把握は、(入力,出力)方式。

 

以下は、この基本思想に関する新パラドックスの話題になります。

この為、(1’)を具体例に取るの。  

関数Eを、集合で把握すると、

「任意の自然数nに対し、(wn,TMn)E」

一方、Eの実現をTMiとします。

当然、nの特別な場合としてのiでも、この関係は成り立ちます。

つまり、

「(wi,TMi)E」・・・(3)

 

ここで、E=TMiを適用すると、

「(wi,E)E」・・・(4)

かくして、集合論的に循環が発生。

拙いですね。 

「これは、一体、どういうことか?」

この懐疑が大事。

表面上、この循環は回避できます。  

Eの値域は、TFの要素のコードだということ。

 

だから、正確には、(1’)は

「E(wn)=σ(TMn)」・・・(1”)

となり、(3)は

「(wi,σ(TMi))E」・・・(3’)

となります。 

ここで、E=TMiとすると、(4)は

「(wj,σ(E))E」・・・(4’) 

(4’)で、目先の循環は回避できるように見えます。 

 

段々、ゲーデルっぽくなってきたな。  

しかし、このレベルで安心するから研究者として失格するの。

この(4’)に何処か違和感を感じるのが天才。 

しかし、誰も、この違和感を把握できなかった。

何が、どう、オカシイのか? 

だって、σ(E)って何? 

そもそも、(4’)でも循環してるのでは? 

 

更に、(3’)からは、

「(wi,σ(TMi))TMi」・・・(5)

も出ますね。

これで、矛盾。 

しかし、一方で、(3’)は成立してますよ。

これは、一体、どういう事態か?   

どうかな、この論点は。  

 

(5)の矛盾の原因は如何に? 

(2)ですね。 

(2)の意味が曖昧なの。 

(5)なんか成立するはずがない。

これは、E=TMiとしたから、間違ったわけです。

つまり、(2)の“実現”の意味を強く解釈し過ぎたわけだ。

こう分析してやると、猿は一安心するカモ。

フッ、それが甘いのよ。 

ここから、本物のパラドックスに突入します。 

 

Eは関数ですが、一般に、 

「関数=TM」・・・(6)

は有り得ないというのが、上の矛盾回避法です。

これは、あるレベルでは、正しいのですよ。

TMには、手続き的意味論が付随してますから、関数以上の何かがあるの。

しかし、等号は無理でも、(2)なら成立します。

ここで、何か、何処かが、オカシイという感覚を得るかどうか。  

実は、ここから真理を垣間見ることになります。 

 

(6)が有り得ないことを上で証明しました。

一方で、TMには関数的セマンティクスが付随しています。

関連しつつも別世界の話だと思ってもいいですが。

それでも、切り離せないことは確か。

問題は、付随の具合です。

両者、どの程度の関係なのか? 

これを議論するため、基本から入ります。

 

TMには、関数的意味論が付随します。

そうじゃないと、RFとの同値なんか言えない。

そもそも、関数E(n)のTM実現なんかできない。 

この事実を、セマンティクスの観点から見ると、どうなるか? 

ここから、計算量理論に限定せず、より一般の知識表現世界を考えます。

TMが関連すると、どうなるかという見本。  

TMには、背後霊として、関数的意味論が憑いています。

この事実の下、基本の集合論に帰ります。

 

関数y=F(x)の集合論的把握法は

{(x,y)|y=F(x)}・・・(7)

です。

同様に、TMiの関数的意味の集合論的把握法は

{(x,y)|y=TMi(x)}・・・(8)

ですよ。

ここで、y=TMi(x)とは

「TMiの入力xに対する出力がy」

だということ。

 

(7)は関数Fの把握法です。

同様に、(8)は、関数としてのTMiの把握法なの。

つまり、無条件に「E(x)=TMi」は成立しませんが、

「E(x)=TMiの関数的意味」

は成立するの。

これが、(2)の真意です。

ここまでは納得できますね。 

ここから先の精緻な分析により、「数学 vs アルゴリズム論」の深遠に落ちていきます。

 

上の矛盾の原因に戻ります。

何故、(3’)はOKで(5)は駄目なのかまでは判ったとして。

ここで、知識表現における進化を果たすと。

従来、TMに名前を付けるような真似をした猿は皆無でした。

理由は簡単で、例えば、TMiにFなんていう関数名を付けると、TMiの特徴が消えるからです。

特に、手続き的意味が見えなくなる。

 

しかし、この名前により、ナント、

「(wi,σ(TMi))F」・・・(9)

は違和感がなくなります。 

それでも、依然として、

「(wi,σ(TMi))TMi」

は成立しません。

これは、どういうことか? 

 

名前には、TMの名前も、関数の名前もあります。

中には、TMの関数的意味のつもりで、TMに名前を付ける場合もある。

名前付けには、ある程度の曖昧性が許容されるのです。

名前の意味に重複が発生するケースがあるということ。 

これを回避するには、その名前を使用する文脈をキチンと把握することが必要です。

つまり、名前の状況依存性。

 

実際、TMの関数的意味論世界に限定すると、(9)はOK。

一方、手続き的意味論の世界では、(9)はどうか。 

手続き的意味の基本にTMの遷移関数セマンティクスの世界があります。

この、遷移関数セマンティクスの世界で、(9)は成立しないの。 

こういう状況依存性を無視するとパラドックスが発生するのですよ。

特に、関数的意味と手続き的意味を混同すると矛盾します。 

こういう混同は有り得ないか? 

実は、有り得-るのよ。

 

上の状況依存性は私が指摘して判明したわけです。

正確には、Fの

「関数意味論世界では(9)はOK。

遷移関数セマンティクス(手続き的意味論)世界では(9)は駄目。」

となりますが。

「関数意味論世界+遷移関数セマンティクス世界」・・・(10)

では、どっちかな?

これが混同という概念です。

そして、(10)の世界は実在します。

還元とか・・・。

どうじゃ、Cook猿。

 

ここまで真理の解説をしてやっても、普遍猿は、まだ己の古典世界に閉じ籠ろうとするの。

「一般的に、(9)が成立したり、しなかったりすることは普通に起きる。」

と言い出すはず。

そりゃ、そうだ。

Fという名前を任意の集合の範囲まで広げれば、常識の範囲の話題です。

しかしね、ここでは、

「ある特定の関数のセマンティクスの相違問題」

を取り上げているの。 

どちらのセマンティクスで判定しているかが勝負。

 

まだピンと来ない猿向けに、更なる一手を追加しておくと。

名前なんだから、採用記号は何でもいいわけです。

だから、関数としてのTMiの名前として、Fの代わりに

「TMi」

という記号を採用できるのですよ。

それ基準に、手続き的意味を考えるか。

それとも、関数的意味を考えるか。

 

この為に、状況依存性という概念が登場するのよ。

名前の曖昧性に対処するために、状況依存性は必須なの。

判ってきたかな。

物事の本質を把握できないと、猿のまま、進化できない運命。

ここから、非単調性に繋げておくと。

 

関数的意味だけの世界なら、矛盾は起きないわけです。

しかし、手続き的意味を追加すると、矛盾が生起する。

そして、関数的意味論世界に手続き的意味論世界を追加することは、

「理論の拡大」

ですよ。

これで、非単調性が発現しました。

記念に、これを

「TM名前化パラドックス」

と名付けましょうか。 

というわけで、今回の成果は、 

 

人生のTM名前化原理

万能TM論ではTM名前化パラドックスが発生する。  ┤ 

 

これが駆除レベル10。

これを避けるには、状況依存性をキチンと知識表現する必要があるの。

しかし、状況依存性を表現しないレベルの単純理論化もあります。

その見本が計算量理論。

誰も、この事実が認知できてなかったの。

この点を、エネルギー武器化できるのが神の能力。

判ったかな、計算量理論で「P≠EXP」は証明できないという意味と理由が。

これで149町目。