はじめに

 

本書において、読者の皆さんは3つの異なるレベルの奇跡が体験できます。

まず、この本は難問の解決を提示した本です。

「P=NP?」問題は、計算機科学における難問の代表でした。

どのくらいの難問かというと、某数学研究所から、100万$の「懸賞金」が懸かっているくらいの歴史的難問だと指摘すれば、一般の読者は納得できると思います。

こういう種類の難問は、

「人類が、歴史上、いつ解くか?果たして解けるのか?」 

というレベルの話題です。

例えば、20世紀に解かれた「フェルマーの最終定理」の場合、人類が解くのに数百年単位の時間がかかっています。

この意味で、「P=NP?」問題が解ければ、ノーベル賞クラスよりも格上の結果になります。

これだけでも、十分、奇跡レベルの資格はある。

しかし、本物の奇跡と言うには、まだ少し、意外性が足りない。

では、何故、奇跡なのか? 

実は、ここで提示した最終解答は、従来、この分野で想定されてきた 

『「P=NP?」問題は、多分、「P≠NP」で解決されるであろう』 

というコンセンサスをひっくり返す結果になっています。

つまり、今までの、この方面におけるプロ研究者の研究成果が、総てではないにしても、かなりの程度、研究廃棄物になるわけです。

この結果の価値を評価すれば、 

「1兆円レベルの経済効果が発生した」 

ということになります。

この場合、世界中で、1000人のプロ研究者のトップ集団が、1年に、一人平均、1000万円の“給与+研究費”を費やして、「P=NP?」問題を研究していると見積もりました。

(現実の世界は、大体、この程度です。)

すると、年間、100億円の浪費。

これが100年間解けなかった場合、その損失は、1兆円ということです。 

というわけで、こういう現象が発生するのを目の前で目撃するのは、ある意味で立派な奇跡体験だと言えるでしょう。

私一人で、従来のプロ集団に勝ったわけです。

将棋や碁の比喩を用いれば、13段レベルの例外的歴史名人の登場ということになります。

これが一つめの奇跡。

 

二つ目の奇跡は、 

「この本が提示したのは、単なる難問解決以上の結果」 

だという事実に宿っています。

通常、科学で扱う理論は、プロの仕事場、議論の土台ですから、それが間違っているなんてことは有り得ません。

プロが、その上で、日常的に、自分の仕事をしているのです。

十分、吟味されているはずです。

特に、理論が確立されてから数十年も経過している場合は尚更でしょう。

(計算量理論も、確立してから、数十年経過しています。)

まず、間違いなんて起こり得ません。

 

しかし、歴史上、極めて稀に、それまで使用してきた理論に間違いのあることが発見されることがあります。

実は、今回の結果は、この極めて稀なケースに当たっています。

つまり、この本で、 

『(「P=NP?」問題を議論する土台になる)「計算量理論」が論理的に矛盾する』 

ことを証明してみせたのです。

これにより、「P=NP?」問題どころか、計算量理論全体を再吟味する必要性が発生します。

この本では、この再吟味まで視野に入れた議論展開をしています。

こちらの現象も、(難問の解決レベルとは別の意味で)100年に一度、あるかないかの出来事です。

この意味で、読者の皆さんは、この本を通じて、歴史的体験をすることになるわけです。

ところで、第一の奇跡と第二の奇跡は、互いに両立するのか?

如何ですか?

実は、立派に両立可能です。

では、一体、どういう意味で両立可能なのか?

これについては、第一章で判明します。

 

3つ目の奇跡は、本物の奇跡と呼べると思います。

難問の解決は、当然、難解なはず。

さもなければ、難問とは言えない。

100万$も懸賞金をかけるはずがない。

よって、常識で考えれば、

「このような解説書において、そのような難問の解決を、一般読者にも判るように説明する」

ことは、“不可能”なはず。

私は、この難事業に敢えて挑戦しました。

ここで提示する解決は、何となく簡単に見えるかもしれません。

これは、ある意味では錯覚で、ある意味で錯覚ではないのです。

この本の議論は斬新であり、用いたテクニックは21世紀からの科学において、必要不可欠な基盤理論・技術になるはずです。

それほど、高度な解決法を提示しています。

一方、その高度技術の提示・解説が何となく簡単に見えるのは、文章表現力まで含めた著者の力量です。

他の分野・理論、特に物理学の解説にもありますね、「良く判る・・・」なんて啓蒙書が。

この本も、あの感覚で書いてみました。

 

この本を読まれた一般読者が、何らかの意味で、内容を理解できたと“感じ”たら、それは、筆者の勝利です。

そして、読者は、現代版の「奇跡」を体験したことになります。

プロでも、「判る」範囲に差があるのです。

判らないプロすらいる。

素人には、「判った感じがした」だけで十分、奇跡です。

論理学や計算機の分野に不可欠な結果として、「ゲーデルの不完全性定理」というものがありますね。

はっきり言って、この本の結果は、あれよりは難しい。

けれども、この解説を読むと、遥かに易しく思えると自負しています。

この解説により、この方面のプロには、この本で提示された「P=NP?」問題解決の正しさが納得できるはずです。

一方、一般読者にも、「証明の正しさ」に対するそれなりの感覚が得られると思います。

寧ろ、今までの伝統的知識の垢が身に染み込んでいるプロよりも、何も知らない素人の方が、この本で提示された結果を受け入れ易いかもしれません。

それほど、この本で提示する結果は従来の常識を覆す内容になっています。

逆に言うと、「P=NP?」問題とは、これほどの難問だったわけです。

 

この本は、これだけを読んで、内容(の感じ)が把握できるように配慮して書きました。

一般読者向けの参考書、その他の引用はしていません。

勿論、専門書や論文の引用もなし。

本文を、知的推理小説感覚で、そのまま、一気に読み下せるように書いています。

ただ、素人が何の予備知識もなしに読み進んでいって、内容全部が理解できるはずはありません。

というわけで、文中、所々に出てくる専門用語の幾つかに対し注釈を付けました。

判らない用語があったら、その都度、参照してみてください。

注釈の無い専門用語については、必要に応じて、辞典や計算量理論の適当な参考書を見てください。

この分野の参考書は、どれ一つを取ってみても、素人には取っ付き難いかもしれません。

それは、計算量という理論の難しさから来るものですから仕方がないと言えるでしょう。

これら各種入門書の難しさと比較すれば、この本の理解し易さは、まさに奇跡です。

 

最後に蛇足を。

この本で採用した文体・表現も、かなりオリジナルだという印象を与えるはずです。

インターネット用文章向けの文体を使用してみました。

英語のように、各文を短く切るのは、その典型です。

また、基本的に、一行一文にしました。

右の余白は、気になる点の書き込みに使ってください。

これで、読者の読み易さ、理解度がアップすることを期待しています。